●2001年アメリカ旅行記
2001年に行ったアメリカ旅行記です。旧知の友達に合いにまわりました。
アメリカ旅行記
前回のアメリカ滞在から2年が経ち、気ままなバイト生活だった自分も、今や会社員。自由にならない時間をなんとかやりくりして、今回1週間というハードスケジュールながらも、旅をすることが叶った。だが、出発前日にコアXがあり、そのフラットランド競技でジャッジを務めたりして、出発前からいきなり疲れてしまった。
8月11日、今回、大学の卒業旅行としてアメリカについてくることになった妹ともに、疲れた体を引きずって成田へ向かう電車へと乗り込んだ。前日の大会の疲れで、朦朧としているうちに、8時間のフライトも瞬く間で、日時は1日戻って、同じ8月11日、最初の目的地、シアトル国際空港に到着した。だがあまりにボケ過ぎていて、空港の到着ゲートを出る際に、セキュリティーチェックを通るためにはずしたウエストポーチを受け取り忘れて、そのままゲートの外に出てしまった。妹が気づいて、しかもその中にパスポートを入れていたから、自分のものだと証明できたからいいものの、でなければ全財産も入っていたので、シャレにならなくなるところだった。おかげで目が覚めた。
手荷物受取所で荷物を受け取ってすぐに、今回の旅先で会う予定の人に電話をしたのだが、空港で買ったコーリングカード(テレフォンカード)にぼられた。$20も払っているのに、しかも市内通話なのに10分も話せない。だがどうしても電話する必要があったので、結局$40も払わされた。皆さん、空港ではコーリングカードは買わないようにしましょう。セブンイレブンのコーリングカードはバッチリ使えます。
話がそれてしまったが、そもそもここシアトルには前回、(宇野)陽介と旅をしたときにお世話になったダイアテックUSAの小杉さんに会いに行ったのだが、小杉さんは不在だった。だが奥さんのジョアンさんと、娘のアンちゃんには会えて、少し話せて良かった。ジョアンさんがあまり調子がよくなさそうだったので、それほど話し込めなかったのがちょっと残念だったが。
8月12日。小杉さんちから車でシアトルのダウンタウンまで送ってもらい、そこから今や多くの日本人ライダーが住んでおり、カナダ人ライダーを押しのけて一大勢力を築いているという、バンクーバーへと向かった。
バンクーバーへはグレイハウンドという、北米大陸唯一の長距離バスを使った。シアトル、バンクーバー間を片道4時間で結び、料金は$21。予約の必要がなく、受け付けで簡単にキップが買えて、値段もお手ごろ価格ということで、若い人や、車の運転が出来なくなったお年寄りなどが結構利用している。しかもシアトルからカナダとの国境まではノンストップなので、バス特有のバス停毎のストップ&ゴーで疲れることもなかった。
だがそのカナダの国境で、同じバスに乗り合わせていた日系アメリカ人のバックパッカーが、かなり行き当たりばったり旅だったようで、カナダの入国管理官から執拗な質問攻めにあい、同じバスに乗り合わせたウチらは待ちぼうけを食らった。1時間ほどの問答の末、その彼もなんとか疑惑が晴れて、バスに戻ってきた。カナダに入ってからは、メインの通りで5,6回、1分ほどの停車をしただけだったので、国境でのトラブル以外は何もなく、スムースにバンクーバーに到着した。
バスの終点は、グレイハウンドのバスターミナルと、これまた全米を結ぶ鉄道会社、アムトラックの発着駅が1つの建物に入っている、ヨーロッパ風の佇まいが印象的なバンクーバー中央駅。バンクーバーには3日間しか滞在できず、その後すぐにシアトル国際空港に戻らなければならないので、とりあえずバンクーバー中央駅構内にあるグレイハウンドの案内所に行って、シアトル国際空港まで行くバスがあるか聞くと、「シアトルダウンタウンには止まるけれど、その先はシアトル国際空港を通り過ぎてポートランドまで行っちゃうね」と、受け付けのインド系のおっちゃん(ちなみにバンクーバーには中国系とインド系の人が多い。)に言われた。
こんなこともあるかと、(考えていなかったけれど。)シアトルの空港で漁ったパンフレットの束をバックパックから引きずりだし、いい交通手段が無いか探すと、“クイックシャトル”という、バンクーバーとシアトル国際空港、シアトルダウンタウンを結ぶ、グレイハウンドよりちょっと高級そうなバスがあることを発見。ひとまず後で詳しく見てみることにして、とにかくバンクーバーで泊めてもらう約束をしていた、浜松出身で、今はワーキングホリデーでバンクーバーに住む、阿部真之介に電話をした。
真之介に聞くと、バンクーバー中央駅から彼のアパートまではチャリでも結構距離があるということで、中央駅の目の前にあるスカイトレインというモノレールを使ってダウンタウンの中心部で落ち合うことにした。普通に切符を買って、あたりを見回すと、改札がない。ちょっとソワソワしながら電車に乗り込み、目的地に下りたがやはり改札がない。あれ?あれ?といっている間に外に出てしまった。基本的にスカイトレインは住民の善意で運営されているらしく、まあ、料金を払わないでも乗れるのだが、後で真之介に聞くと、たまに私服の調査員がいるらしく、無銭乗車がバレると$600くらい取られると言っていた。
真之介の家から最寄りのグランビル駅に到着。駅を出たところで、迎えに来てもらうよう電話を入れ、待つこと10分。真之介とシャーリーが来てくれた。真之介とはKOGでちょっとしか話したことがなかったので、ほとんど初対面に近かったのだが、真之介がカナダに出発する前に電話をくれたりして、その後もメールでちょくちょくやり取りしていたので、最初から昔からの友達のような感じがした。
シャーリーはカナダにいても相変わらずで、トレードマークのダミ声、笑い方で、駅の周りにいる人たちをビビらせていた。カナダに来ても、シャーリーのキャラがしぼんでいないのを見て、ちょっと安心した。
スカイトレインの駅から15分ほど歩くと、真之介の住んでいるアパートに到着。早速、今回の旅で会いたいと思っていたコリー(ストラティチェック)に電話してみた。同じく今、ワーキングホリデーでカナダに住んでいるヒデ(田中秀典)に、自分が来る話を聞いていたらしく、電話すると「すぐ行く!」とのこと。1時間くらいしてコリーが現れた。2年前から姿は変わっていなかったが、以前のようなトゲトゲしさが丸くなっていた感じがした。
ちょっと部屋で話した後、コリーが日本食を食べたい、というので、コリー、真之介、シャーリー、自分、妹で日本食レストランに向かった。コリーはてんぷら定食を頼んで、その中にちょっとした寿司がついていたのだが、ワサビをガンガンつけて食べていた。日本食はなんでもイケるらしい。相変わらず生活保護の金で生活しているらしいが、「会社を始めたい」とか、昔と違って、将来のことを考えているようだった。その時は自転車が無くて、4ヶ月くらい自転車に乗っていないとのことだったが、「それも人生さ」とそんなに深刻に落ち込んではいなかった。その成長ぶりに、2年という年月を感じた。
夕食の後、4人で本屋に行って、コーヒーをすすりながら色々な話をした。(アメリカやカナダの本屋は、中にソファーとか、カフェがあるところが多い。くつろいだ中でゆっくり本を選べるし、立ち読み禁止の日本と比べると不思議な感じだ。)去年のX-Gamesから突然コンテストに来なくなったジェイソン(ブラウン)はネルソンというカナダの北の方に行ってしまって、もう自転車は乗っていないということとか、今年回った大会の様子を聞くと、やはりアメリカの大会でもジャッジ不足と、近年のトリック、コンボの高度化によるミスジャッジに悩まされているようだ。その後、コリーは家に帰って、真之介の日本人ルームメイトで、スノーボーダーのリョウ君を交えて、真之介とシャーリー、自分の4人で分野を超えてBMXやスノーボードといったスポーツの捉え方、将来について熱く語った。スノーボードもフラットも単発のトリックとしてはトリックが出尽くして来たが、同じトリックをやってもなお、滲み出てくるもの、オリジナリティが大切なんだ、と改めて確認した。話が盛り上がって、気が付いたらもう夜の3時。みんな疲れてその日はとりあえずお開きとなった。
8月13日。あっという間に3日目の朝を迎えた。充実しすぎくらいの充実した2日間を過ごしてきたが、連日睡眠時間が2,3時間ということでヘロヘロ。だがなぜか朝はパッチリ目が覚めてしまい、朝飯を食いに行くのに、真之介がダイナーと言うのに行ったことがない、というので近くに見つけたダイナーに入ってみた。ダイナーというのは、北米における、典型的な庶民の定食屋(だと思う。)で、前回の旅ではここで注文の仕方、チップの払い方を覚えた。だが、北米の朝食というのは値段が安いか高いかだけで、どのダイナー、どのアメリカ料理のレストランに入っても、出てくるものに大した違いがない。
朝飯の後、シアトル空港に帰るための手段を見つけるために、旅行会社に連れて行ってくれる、と言っていたシャーリーに電話してみると、案の定、玉砕していて電話に出ない。昼まで何回か電話してみても起きないので、仕方なく例のクイックシャトルのパンフレットをよく読んでみた。すると、バンクーバー国際空港からだけでなく、主要なホテルにも停車すると書いてある。中でもホリデーインというホテルが真之介の家から近いというので、行ってみると、たったの2ブロックしか離れていない。片道カナダドルで2人分$88だったが、米ドルで払ったので、2人分$72だった。次の日の飛行機が朝6時なので、早めにバンクーバーを発たなければならないと思っていたものの、予約した最終便が夜6時半出発ということで、最終日も楽しめそうな予感がしてきた。
予約を済ませて真之介の家に帰ると、シャーリーからも電話があって、ヒデも仕事が休みということで、コリーも誘って観光に出かけようと、みんなとダウンタウンの中心街にある美術館で待ち合わせることにした。真之介はどうしても英語学校に行かなければならない用事があるらしく、学校へ出かけて行き、自分と妹だけで美術館へと向かった。10分くらい待つとヒデがやって来た。
ヒデももう3ヶ月近くカナダに住んでいて、すっかり馴染んだ様子だった。ヒデの家の近くに、「ブリックヤード」というクラブがあって、そこは毎週火曜日にスケーターやBMXライダー、いろんな分野の人が集まるらしく、そこでたくさん知り合いを作ったらしい。コリーとはそこで知り合ったけれど、自転車に乗っているところは見たことがなくて、コータ(須藤耕太)がコリーと一緒に住んでいた時、喧嘩した話や、ビデオでいつも怒っている姿しか映っていないので、かなりコリーに対して距離を置いている部分があると言っていた。
ちょっと話し込んでいる内にシャーリーも到着。コリーも来たが、シャーリー、ヒデはチャリで来ていて、移動が大変だからとシャーリーの家にチャリを置きに戻った。
2人を待っている間、コリーと色々話をしたが、驚いたことに、クサ(マリファナ)を吸いまくって、ヤニも酒もやっていたコリーが、いまやクサ、タバコ、酒を断っているという。それと、牛乳は飲まない、という。なんで?と聞くと、成長しても牛乳を飲むのは人間だけで、人間の体の中には常に、数は少ないけれど、がん化しやすい細胞があって、牛乳をたくさん飲むとそれも成長させてしまうからガンになりやすくなる、という。「んなのこじつけやん」と言うと、かなりマジな顔で「いや、本当だ」と言い張っていた。いつも(田中)光太郎や(伊東)高志にイジられ慣れている自分と違って、コリーはいじられる免疫がまだ無さそうだったので、それ以上突っ込むのはやめといた。
シャーリーとヒデも戻って来て、とりあえずどっかで飲み物でも買おうと、近くのスターバックスに行って、茶をしばいた。とにかくこのバンクーバーには、スターバックスをはじめ、商売なり立つんかい、と言いたくなるほどカフェが至る所に建ち並ぶ。街には観光客や、多くの人が行き交い、頭の上に走るトロリー(電車のように、パンタグラフがついたバス)の電線が独特の景観を作り出している。カフェから坂を下っていくと、海沿いにある観光地、カナダプレイスに出た。そこから対岸のノースバンクーバーを海から眺めたりして時間を過ごした。
そんな中で、今回もまたまたコリー先生に英語をいろいろ教えてもらったのだが、その中でも最高にウケたのが、「I’ll go to take No.1」というものだった。最初、「は?どーゆー意味?」と思ったら、No1はおしっこで、No2がウンチらしい。子供が使う、といっていたが、シャーリーはいたくその表現が気に入ったらしく、トイレに行く度にその言い回しを使っていた。No3というのは無いのだが、さしずめNo3はゲロかな、とか言ってみんなで大笑いした。
カナダプレイスで少し時間を潰した後、ヒデの家に行こうということになって、カナダプレイスから海岸線沿いに、西の方にあるガスタウンの方に歩いていくと、古い建物が多くなってきた。ここはバンクーバーの旧市街だそうで、貧しい人が多いので比較的治安が悪いらしく、通りを2本くらい隣にいくと、エイズ罹病者数No1、歩いている人はジャンキー(薬物中毒者)か、ヤクの売人、ギャングという、悪名高きヘイスティングス通りがあるのだが、メインストリートは多くの観光客で賑わっており、オープンカフェなんかもあったりして、一見、そんなにヤバそうな雰囲気はなかった。
ガスタウンのメインストリートを終点まで行くと、三叉路のド真ん中に建つ、三角形の形をしたアパートが目に入ってきた。その1室にヒデの住んでいる部屋があった。中は凄くきれいで、5階ということもあって見晴しもいい。なんか向かいの建物の雰囲気もヨーロッパ風で、洒落た感じのする所で居心地がいい。
朝から用事で出かけている真之介を待つ間、ヒデが日本にいる(宇野)陽介や、(岡村)旭とかに電話を掛けてみた。日本は深夜だったらしく、旭はかなり眠そうで、言っていることがボケていたが、陽介は「え、なんで竹生そこにいるの?」とかなり素で、こっちが拍子抜けした。それからは昼間っから一足早く、ビールを空けてガハガハいいながら話したりしている内に、あっという間に夕方になり、真之介が帰ってきた。
するとコリーが「俺が夕飯を作ってやる」というので、みんなでコリーの家があるブロードウェイ通りまでスカイトレインで行き、近くのグロッシュリーストアで食べ物を買い込んでコリーの家へと向かった。コリーは今、シェーンというスケーターとシェアして住んでおり、部屋は凄く大きかった。コリーがパスタを作っている間、みんなでスケートボードのビデオを見たりして盛り上がって、30分ほどすると、コリーの作ったナポリタン?が出来上がった。それがまたメチャクチャ美味い!真之介やシャーリーはお代わりまでしていた。みんな大絶賛で、コリーも満足そうだった。
夕食後、みんなが話で盛り上がっている間に、自分は疲れてソファーで爆睡してしまい、夜も9時くらいになって今度はヒデの家に戻ることにした。9時とは思えないくらい、外は薄暗い感じで明るい。昼間は観光客で賑わっていたガスタウンも、夜になると人が減り、ヒデの家に行く途中にある小さな公園っぽいところには、ジャンキーがたむろしていた。だがヒデいわく、「あ、ジャンキーは大丈夫。でもギャングはヤバイね。銃持っているから。」とのお答え。ジャンキーには目もくれずガンガン歩いていくヒデやみんなに、ウチらはそそくさと、ジャンキーを横目にちょっとビビりつつ付いていく。
ヒデの家に着く前に、すごく安いチキン屋がある、というのでみんなでそこに立ち寄った。確かに全てが安い。ポテトも量が日本のマックで頼むLサイズのポテトに換算して、ゆうに6個分はあるであろうフライドポテトが、たったの1カナダドル。80円くらい?とてつもなく安い。逆にちょっと何が入っているのか怖くなってしまうところがある。ピザやチキンも1切れ、1個1ドルくらいだった。真之介はパスタをお代わりするくらい食っていたのに、更にピザとポテトを注文していた。
ヒデの家で、ポテトを頬張りながら、この日もまた夜遅くまで再び日本のBMXシーンについて語ったり、みんなから関西のBMXシーンについての話を聞いたりした。そこでヒデや真之介は、大怪我をして長い間自転車に乗れない期間があり、神戸のアキ(小谷明夫)とかも一時期、自転車から離れていた期間があったということを聞いて、自分も腰のせいで1年半くらい乗れなかったけれど、そんなんでクサってた自分がバカみたく見えて、同時にこういう友達と会えて、自転車から離れないで良かったとつくづく感じた。フト時計をみると、夜もふけて2時。さすがに連チャンの午前様で、ウチらのハードスケジュールに付き合ってくれていたみんなもグロッキー気味になってきた。また次の日、ということでシャーリーと真之介、それとウチら兄妹は、夜のガスタウンを、疲れた体を引きずってトボトボと帰路についた。
帰り道、自分も英語が上手くなりたいけれど、俺もオーストラリアとかワーホリで行こっかな、と言ったら、シャーリーが「直感を大切にせなアカン。やりたいことは絶対やるべき。じゃないと後悔しトウ。実際、今まで後悔したことばっかやけれど、意地でもあれはよかった、といわしトウ」と言った。体が先で動いたのと大して変わらないのに、頭でばかり考えてきた自分の心に、この言葉はかなり響いた。
8月14日。朝、ヒデは仕事、シャーリーは相変わらず起きないということで、真之介を叩き起こし、ウチらでコリーのうちの近くに安く朝飯が食えるところがあるというので、スカイトレインでまたコリーの家があるブロードウェイに向かった。だがドアホンをしつこく押しても出てこない。やっとコリーが出て、中に入ってみると女の子を連れ込んでいた。その子と5人で、お目当てのレストランに向かったが、コリーはウチらのことなんて目に入っていやしない。ウチら3人はまるで他人のように、2人の後についてレストランに向かった。
飯を食った後、前日の予定ではレコビーチという、ヌーディストビーチに行こうということだったが、最終日に行くにしてはちょっとハードコアすぎる、つまりクスリも酒もOKという、まぁかなりSketchy(ヤバイ)なところらしいので、代わりに普通のビーチに行くことにした。バスに揺られること30分。ウェストバンクーバーの中ほどにそのビーチはあった。そこで日本人とカナダ人のハーフらしき4,5歳くらいの女の子を見かけたのだが、ハタで話を聞いていると、日本語と英語がメチャクチャに入り混じってしまっていて、ヤバかった。「あ、なにこれ、I think…」とか言っていた。人間、基礎になる言語をしっかりマスターしないと、大きくなってものを考えられなくなるという話を本で読んだことがあったが、とにかく強烈に印象に残った。
ビーチではコリーと例の女の子は焼いているだけだったので、自分と真之介はキャッチボールを始めた。真之介はリトルリーグのピッチャーだったらしく、変化球とか球の伸びが凄い。こっちに来て久々にリラックスした時間を過ごせたが、その日の6時にバンクーバーを出るので、4時くらいにみんな、ビーチを引き上げ、バスで真之介の家に向かった。バスが真之介の家の近くで止まった所でコリー達とお別れ。これのほうが湿っぽくなくていい。真之介の家からシャーリーの家に電話すると、「寝過ごしちゃったから、昼からずーっと連絡を待っていた」とシャーリー。携帯に慣れきった体にとって、この携帯の無い生活はひどく不便に感じた。その後は最後にみんなで飯を食おうと、真之介、シャーリー、ウチら4人で近くのデリ(デリカデッセン。サブウェイみたく、惣菜をクレープに巻いたものや、パンに挟んだものを食べさせてくれるところ。)に行ってみんなで飯を食った。もうその後はカナダの小銭は使わないということで、そこで全部の小銭をはたいて、非常食用のクッキーをたくさん買い込み、ホテルのバス停に向かった。
真之介とシャーリーが最後まで見送りに来てくれたが、1年もすればすぐに会えるとは分かっているものの、やっぱりなんだか寂しい。バスが出発して、周りを見渡すと、グレイハウンドよりちょっと料金が高めだけあるのと、高級ホテルを回るだけあって、乗客にヤバげな人は見当たらない(といってもグレイハウンドにもそういう人はいなかったが…)ので、気が緩んだこともあって、カナダ滞在中平均睡眠時間3時間程度の自分は、疲れ果てて知らない内に寝ていた。
気が付くとバスはもう国境近くのパーキングエリアまで来ていた。アメリカからカナダに行くときはかなりトラブッたが、カナダからアメリカに入る時は何も問題なく、2,3個質問されただけで、すぐ国境を通過。バスが走り出すとまたすぐ寝むりこけてしまった。次に目が覚めて、窓の外を覗くと、シアトルの夜景が目に飛び込んできた。高速道路から右側に、マリナーズの本拠地、セーフコフィールドを中心に望むダウンタウンは、まさに「100万ドルの夜景」だ。こっちの道路や街の区画が整然としているので、夜の明かりがすごく綺麗に見えるのだろう。
途中シアトルのダウンタウンで一回停車して、そこから30分くらいでシアトル国際空港に到着した。次の日は朝6時のフライトのため、空港に寝る予定で、寝床を探そうと当たりを見回すと、いるわいるわ、お仲間が。出発階にはチケットカウンターがずらーっと100メートルくらいの長さに並び、20メートルおきくらいにちょっとしたスペースと椅子があるのだが、どこも空港で一晩過ごそうという人で陣取られていたのには驚いた。つまりそれだけ安全という裏返しなのかもしれないが。その中に空いているところを探し、また空港内の24時間営業しているスターバックスへ。今回の旅で「ちょっと一服=スターバックス」というパターンが出来上がってしまっていた。きっとコリーなら「スターバックスのコーヒーには中毒になる物質が10個くらいはいっている・・・」と言い出すに違いない。
8月15日。床も固く、荷物が取られないかと気になってしまって、うつらうつらしている内に夜が明けてしまい、人が往来する音で目が覚めた。寝ぼけた頭を抱えて搭乗券を受け取り、そこからシカゴ経由でモントリオールまで4時間のフライト。飛行機ではお約束どおり、離陸したのも分からないくらい爆睡。気が付いたらシカゴに着陸寸前だった。今回のキーワードは「移動=睡眠時間」だ。普段はそんなことはないのだが、今考えるとそれくらいハードだったのだろう。
シカゴに着くと、ゲイブの家に連絡し、待ち合わせの場所を確認。ついでに今回の旅で立ち寄れたら立ち寄るよ、とCoreXで知り合ったフラットランダー、ポール・オシッカの家に連絡した。電話するとすぐポールが出て、かなり驚いた様子で、CoreXのフラットランド競技の後、ショッピングをしたりして楽しんだよ、といっていた。インタビュー、書けたら確認のために送るよ、といったら、他にもインタビューをした人がいて、名前は忘れてしまったけれど、彼女は英語が上手かったから、彼女に翻訳を手伝ってもらったら?と言われて、かなり落ちた。
実際、ポールのインタビューの時は、自転車の話で、突っ込んでいくとかなり抽象的になってくるから、頭がパンクしそうになっていて、やっぱりそうなると日本語で考えてしまうから、全然話せなくなってしまっていた。頭で整理するのに日本語を使ってしまって、それだとやっぱり会話ではついていけなくなってしまう。とにかくポールのその言葉でかなり落ちた。英語が上手くなりたい…少なくとも相手に気を使わせない程度には…
乗り換え時間は1時間くらいだったが、日本からシアトル、シアトルからシカゴと、時差が発生する度に時計を合わせるのもいい加減面倒くさくなってきた。シカゴからモントリオールまでは2時間くらいのフライトだったが、すっかり移動に慣れた身にとって、2時間くらいどうってことはない。言うまでもなく、寝ている間に着いた。
夕方、モントリオールの空港に到着すると、最初に目に飛び込んできたのは、フランス語の看板。ここモントリオールのあるケベック州では、公用語は英語だが普段はフランス語で、一時期はカナダから独立するしないだのという話もあったらしい。だが、さすがに入国審査官は英語が上手いだろう、思っていたら、新人のネーチャンらしく、めちゃくちゃフランス語なまり。「どこのオテルに行くのか?」とか言われてちょっと焦った。(フランス人はH(はひふへほ)の発音が出来ない)シアトルからバンクーバーに行く時もそうだったが、何故かカナダのイミグレーションはアメリカに入国する時より厳しい。みんな愛想が無く、しつこく色々質問してくる。
しかし無事にイミグレーションを通過し、ゲートに出ると、すぐにゲイブのお母さんがウチらを見つけてくれた。ゲイブのお姉さん、モニークも一緒に迎えてくれた。ゲイブはそこから2時間くらい行ったところにあるバーリントン国際空港に、大会があったロサンゼルスから夜11時の飛行機で到着するらしく、空港に向かう途中のレストランで夕食をとって、バーリントン国際空港へと向かった。
バーリントンへ向かう途中の景色は森、森、平原、平原、そんでもってまた森。どこまでいっても緑で、すれ違う車もほとんど見かけず、まるで自分たち専用の道路のようだ。今までアメリカに何回か来たが、いずれも観光地や、大きな街しか行ったことがなかったので、この何も無さには驚いた。
道中、妹はさすがに疲れて寝てしまい、車の中で2人と色々話しをしたが、ジーン、ゲイブのお母さんは、典型的なアメリカのおっかさん、って感じの人だ。小学校でカウンセラーみたいなことをやっているらしい。かなりのキャリアがあるらしく、ゲイブやモニークが独立したら、校長になろうと思っていると言う。
お姉さんのモニークは、ちょっと太めだがスポーツ万能で、ミシガン州立大学に通う大学生だ。普段はバーモントから遠く離れたミシガンに住んでいるのだが、この時は夏休みで自宅に帰ってきていた。大学では造船を学んでいて、卒業したらボストンにある海軍の港で、軍艦や空母を整備したり作ったりする仕事に就きたい、と言っていた。
レストランから1時間くらい走ったろうか。森が突然開けてくると、目の前に高速道路の料金所のようなゲートが見えてきた。バーリントン国際空港だ。国際空港なのに、日本の地方空港のほうがヘタをしたら大きいくらい、こぢんまりとした空港だ。到着ターミナルで2,30分ほど待つと、ゲイブがゲートから出てきた。1年前と比べて背も伸びて、ガタイも良くなっていたゲイブだったが、声は相変わらず。かわいいままだった。そこからバーモントのニューポートにあるゲイブの家へ向かった。
帰り道、街灯もなく、街の明かりさえ届かないので、空にはこんなに星があったのか、というくらいたくさんの星が見える。その空の下、漆黒の森の中を縫って走る高速道路を、車のヘッドライトが切り裂いて進む。1時間ほどたっただろうか。遠くに小さく、空が明るく見え始めた。ゲイブが住む街、ニューポートの明かりだ。高速を下りて5分ほど、丘の多いこの小さな街の外れに、ゲイブの家はあった。庭のデカイ、かなり大きな一軒家だ。だが回りを見回すともっと大きな3階建ての家あったりする。「古きよきアメリカ」っていう言葉はかくありき、といった風情の街だ。
家に入ると、妹は2階にあるジーンの部屋、自分は同じく2階にあるゲイブの部屋に通された。ゲイブの部屋は自転車の雑誌から切り抜いた写真が所狭しと壁に貼り付けてあり、その中には日本に来た時に撮ったものもあった。一通り部屋を見回していると、でかいクーラボックスの中にパンパンにBMXの雑誌が詰め込まれている。先述したとおり、モントリオールはフランス語圏なので、モントリオールに行くと、フランス系のBMX雑誌、INSIDEやSoul,Creamといった雑誌が手に入るらしい。
フランス語はチンプンカンプンなんで、写真や、英語の大見出しとかをサラサラっと見ていて思ったのは、アメリカやイギリスのBMX雑誌と違って、フランス人はこだわりが強いのか、大会の記事でもトップをとったライダーを取り上げるより、取材をした人間がこれはいい、と思ったライダーをとりあげているようだった。インタビューとかも、名前が売れているライダーと同じ並びで、コアなんだけれど、アンダーグラウンドっぽい(実はフランスでは有名なのかもしれないが…そんな感じの…)ライダーなどを大きく取り上げていたりした。そんなこんな考えながら、ペラペラとページをめくっていくと、見慣れた顔がデカク1ページとりあげられている。スペルが”Yuki”でなく、”Wuki”になっていたが、紛れもなく(前畑)悠樹だった。これは2000年KOG最終戦を取材にきていたINSIDEというフランスのBMX雑誌で、なんと表紙も悠樹!こうして海外の雑誌の表紙になるほど、悠樹のライディングにはインパクトがあるという証明だろう。
だが面白いからといっても大量に見ていると目が疲れてくる。1階に飲み物を取りに行くと、ゲイブが自分のライディングを撮ったビデオを見せてくれるという。
ゲイブの映像は半年くらい昔か、それ以前のものだったが、リア系でもバックヤードウイップ、スティックBウイップなどを軽々こなし、フロントもマイク(スタイングラバー)のようなバースイッチ、(宇野)陽介の十八番、ハング10から飛んでトマホークなどのコンビネーションを余裕でキレイに決めていた。動きはすごくキレイだ。ゲイブが去年、日本に来た時も、仕事が忙しくて、ぜんぜんかまってあげられず、本人は大会にエントリーしなかったので、結局まともなライディングを見たことが無かったので、その上手さには驚いた。だが時計を見ると、もう夜の12時を回わっている。さすがにこれまでのハードスケジュールのせいでちょっとボーッとしてきていたので、シャワーを浴びて、ベッドにもぐりこんだ。
8月16日。ハッと目がさめてガバッと起きるともう12時。信じられない。カナダにいるときは夜の2時3時に寝ても、朝の7時くらいに目がさめたのに、思いっきり寝過ごしてしまった。やはり床に寝るのと、ベッドに寝るのでは寝つきがちがうのか…このベッドの心地よさにはヤラれた。
目をこすりながら階段を下りていくと、なにやらトンカンやっている音がする。ゲイブがチャリを直している。ロスから帰ってくる時に、飛行機に載せるためにバラした自転車を組み立てていたのだが、さすがにゲイブもお疲れのようで、「なんかアヘッドを締めても締めてもグラつく」とブーブー言っていて、「ヘッドセットの下の椀を入れ忘れているよ」と教えたら、かなりヘコんでいた。Dia-tech USAからAresのフレーム、パーツ供給を受けるようになったらしく、Aresのフレームが1台、ほかにホフマン、GT-Showのフレームがおいてあった。その部屋はチャリ部屋らしく、ほかにパーツやらなんやらがゴロゴロそこらじゅうに散らかっていた。
モニークも遅くに起きてきて、みんなで遅い朝食を取った後、近くの湖へと向かった。とりあえずバンクーバーもここニューポートも、緯度的には似たような位置にあって、なんかバンクーバーでみたテレビのニュースで、ニューヨークはかなり猛暑らしいです、なんて言っていたので身構えていたが、昼間でも日本の秋口くらい、日差しはまだちょっと強いけれど、風や空気は乾燥しているといった感じで、21~25度くらいの過し易い気候だった。
湖ではみんな泳いだりしていて、妹とモニークは泳いだりしていたが、自分とゲイブはやっぱりチャリについていろいろ話していた。でもゲイブもまだ乗り始めて2,3年くらいしか経っていないのに、すごくしっかりした考えをもっていたのが印象的だった。最近自分のお気に入りの質問、「ライディングコンセプトは何?」という質問に対しては、「自分は技数を増やすことや、オリジナルトリックを追求することより、やりたいトリックと思ったトリックをできるだけカッコよく見せたい、っていうのがある」と言っていた。
湖で1時間くらい過ごした後、ニューポートのダウンタウンに行って、「自然食品の店」というのに入ったら、面白い飲み物があった。ビール味のジュース、とうもろこしのジュースとか怪しげな名前の中に、「Whatever」(どうでもいい、なんでも、みたいな意味。)という名前のジュースがあった。一番インパクトがあったので、それを買ってみることにした。グビッ。すると口の中にオロナミンCの味が広がる。そうか、アメリカではオロナミンCの味は「どうでもいい」味なんだ…
その日の夜は近くのレストランに行くことにして、自分はチキンスープスパゲッティ、のようなものを注文した。アメリカで一番困るのは、日本のファミレスと違って、メニューが文章のみなので、ワケのわからない名前があっても、それがどういう食べ物なのか想像するのが難しいことだ。たまにメニューの名前の下に、ちょっとした解説とかが載っていたりもするが、これまた知らない言葉が並んでいるので、結局最後は大見出しの「ビーフ」とか「シーフード」とか書いてあるのをアテにして、値段を基準に、マトモなものが出てくることを祈って、気合で頼む感じになってしまう。
食事をしながらみんなで、日本人とアメリカ人の考え方の違いはどこだろう、という話をしたが、日本語でも深く考えなければならないような話題の場合、相手が言っていることは分かるのだが、それに答えようとして、日本語で考えてしまう。難しい質問をされた時には、日本語でも言葉に詰まるのに、詰まった日本語を英語にしようとしても、なおさら喋れるわけがない。それにその作業には酷く時間がかかって会話が途切れてしまうので、話が興ざめしてしまう。内容が難しくなればなるほど、英語で考えられなければ、すぐにボロが出ることを思い知らされた。
ただ難しい事を考える、難しい問いに答えるときは、確固たる考えが頭にある場合は稀で、そうなった時に難しい言葉よりも、いかにたくさんのイディオム、簡単な言葉で抽象化されたことを、「瞬時に操って」表現できるかどうかにかかってくる。いくら難しい言葉をたくさん知っていても、難しい言葉というのは、その言葉の持つ意味が狭いものになってしまうので、日本語でもそうだが、確証がないことを話す時には、逆に簡単な、身に馴染んだ言葉を選んで、簡単な言葉でないと感覚を伝えられない。それが分かっただけでもよかったが、それはなおさら日本で学ぶのは難しい。常に英語の渦のなかに身をおいて、即興的に言葉を運用する能力を磨かなければならないからだ。いったいどこまで行けばマトモに喋れるようになるのだろう…
8月17日。廊下を行き来する妹の足音で目がさめた。どうにもこのベッドは気持ちよすぎる。まさに爆睡マシン。危うく寝過ごすところだった。7時15分くらいに起きて、下に下りていくと、ジーンがコーンフレークやマフィンを用意してくれていた。自分らがそれらをパクついていると、前日、7時起きということで、とジーンが言っていたのに「えー、8時にしよう」といっていたモニークも、寝ぼけ眼で2階から降りてきた。
日本にいる時はいつも朝は遅かったゲイブだが、実はかなりの早起きで、結構疲れているはずなのに、前の日とかも6時くらいに起きていたらしい。ゲイブとモニークは車の中でメシを食うということで、チャリを車の後ろについているラックにくくり付け、ジーンの運転でいざ出発。ゲイブの家から車で2,3分のところに高速道路が走っているので、交通の便はかなりいい。そのまま高速に乗って、一路南東方向のボストンを目指す。走り出してまもなく、曇り空から雨がパラついてきた。途中の小さな街で、ジーンとゲイブが運転を交代したのはいいが、初心者マル出しの運転で怖い。そののクセ飛ばす。
ゲイブの運転にビビりながらも、道中、ゲイブと色々なことを話した。ゲイブは今年学校を卒業したら、とりあえずカリフォルニアに行って働こうと思っていること、それと現実から逃れるためにチャリに乗っていて、アメリカでは犯罪やネガティブな事件が多すぎて、何かに集中していないと、マトモな精神が保てない、これに関してはいくらでも言いたいことがあるけれど、すごく個人的なことだから、みんなに話しても全部理解は出来ないかも、と言っていた。ある意味ゲイブは感受性が強すぎるのかもしれない。
途中のコンコルドという街でスケートショップに立ち寄って、ゲイブがシューズを買うというので、自分もついでにそこでシューズを買っていくことにした。セールの時期ではなかったので、激安とまではいかなかったが、少なくとも日本で買うよりは遥かに安い。ずっと欲しかったエトニーズのバレリーと、安売りになっていた1モデル前のAxtionが、自分の足のサイズに合ったのでその2足を買った。ゲイブはいろいろ履いたり脱いだりして気に入ったシューズを探していたが、ゲイブに自分の履いていた、サーカのジェイミー・トーマスモデルはどう?と薦めたら、気に入ったらしく、それを買っていた。ゲイブは結構、色々こだわっている。
そこから高速に乗って1時間くらい行くと、ボストンの街に入った。電車の線路と、車、歩行者用道路が2段になった高架や、狭いところにギスギスと建っている建物は、映画やテレビでみるボストンのイメージそのままだった。これから10年かけて、道路を大々的に整備するらしく、そこら中で道路工事をやっている。
街中の駐車場に車を止め、徒歩で街に出てみると、建国13州の1つだけあって、煉瓦造りで、ヨーロッパ風の古い建物が多く残っており、古い教会などには観光客があふれていた。
歴史的な会議場や、モールを回って大道芸を見たりしている内にお昼になり、モールの飲食店街でめいめい昼飯を買うことになった。自分はメキシカンの店でケサディーヤ(って名前だったと思う。)を頼んでみたら、量は日本サイズよりチョット大きいくらいだったが、ジーンとモニークが別の店で頼んだクラムチャウダーは、3人前くらいのデカさだった。丸いパンの中身をくりぬいて、中にクラムチャウダースープが入っているのだが、そのボリュームが半端じゃないのだ。食べきれないからと少し分けてもらって、味はよかったが、こんなんを1人でバクバク食っていた日にはブクブク太るわな、と思った。
その後マックでソフトクリームを買うから、とゲイブがソフトクリームを買ったら、これまた日本の3人前くらい渦高く盛られたソフトクリームが出てきた。別にカップをもらって自分に分けてくれたけれど、ゲイブは「アメリカはなんでも大きすぎる」と首を振って見せた。
夕方になって、ゲイブが地元のライダーと待ち合わせしている、というので、待ち合わせの場所へと車で移動した。ボストンはアメリカの中でも「古都」というだけあって、有名な大学もこの街に本拠を構えていた。世界に名だたる名門校、マサチューセッツ州工科大学(MIT)とハーバード大学が、なんと隣り合わせというのには驚いた。MITの方は「工科」大学というだけあって、建物は新しかったが、ハーバードは寮も校舎も煉瓦造りで、世界最高峰の大学としての風格を漂わせていた。その校舎を横目にみながら、ホッケーコートとバスケットコートがある小さな公園に車が止まった。ここで、インターネットで有名なBMXのページ、E-Wireを主宰しているキアラン・チャップマンの弟、ブライアンに会うことが出来た。見た目10代見える彼も、実は28歳と聞いて驚いた。ライディングは上手いけれど、ありきたり、という感じだったが、とにかく感じのいい奴だった。すぐ日が暮れてきてしまったので、あまりライディングは見られなかったが、写真を撮ったり、ちょっと話したりして時間を過ごした。
肝心のゲイブの方は、というと、やはりロサンゼルスから帰ってきての疲れがたまっているのが、チャリを積んできたはいいが、ステムのねじを締め忘れて、ハンドルがガタガタ。おまけに工具も忘れてしまって、チャリに乗れず、ブライアンが持ってきていたスケートボードでずーっとキックフリップの練習をしていた。
日も暮れて、今度は長い帰路が待っている。モニークを彼氏の所に送ってから帰ろうということになったのだが、みんな疲れていて、ジーンもずーっと運転しっぱなしで疲れていたこともあって、みんなイライラ気味。ちょっと道に迷ったことで、モニークがキレ始めて、ジーンと喧嘩になりかけたけれど、ちょうど彼氏の家の前について、そこでモニークと別れ、一路ニューポートへ。バンクーバーからシアトル国際空港に向かうときに乗ったシャトルから見た夜景はキレイだったが、このボストンの夜景は、道路や建物が所狭しと建ち並んでいる東京のように、様々な光が入り乱れていて、日本の夜景に近かった。
高速に乗って一路ゲイブの家を目指すが、さすがにここへきて自分も緊張の糸が切れて、爆睡。気が付いたらニューポートの手前の街まで来ていた。そこでデリに寄って遅い晩飯を買い込み、残り1時間くらいのところまできて、ジーンもヘトヘトになってしまったので、ゲイブに運転を代わった。家に着いたのはもう夜の11時。朝早くに家をでて、夜遅く、しかも次の日はモントリオールの空港まで送ってもらうので、続いて早起きしなければならない。寝心地のいいベッドに寝ていたら、確実に寝過ごす、と思って、ワザと床で寝た。
8月18日の最終日。さすがに硬い床に寝たせいで、体がギクシャクしたけれど、ちゃんと時間通りに目がさめて、ゲイブとジーン、ウチら兄妹は、曇り空の下、モントリオール国際空港へと出発した。
モントリオールへと向かう道は、海でもないのに地球が丸く見えるくらい周りが開けていて、たまに目に入る森も遥か遠くだ。見渡す限りの平原は、アメリカが「大陸」である事実を体感させてくれた。例のごとくアメリカからカナダに入るときはちょっと時間がかかったけれども、車に乗ったまま手続きを済ませることが出来て、ハイ、どうぞと5分くらいで通り過ぎた。
ジーンが高速沿いに見える広大な低い森を指して、「あの森は何年か前のハリケーンでやられて、高い木は根こそぎ持っていかれてしまい、低い潅木だけがパラパラと残っているだけなのよ」と言うのを聞いて、見渡す限りの広大な森をもただの草原にしてしまう、アメリカの自然の猛威を感じた。ゲイブがよく、アメリカ人は「Too individual」(独立心が旺盛すぎ)と言っていたが、それもこういった今だに厳しい自然が現に存在し、家と家のとの距離もハンパなく遠いようなこの土地では、逆に環境が人間にindividualであることを強制するような気がした。日本では、たぶん日本で育った自分らには想像がつかない、文化的な背景の違いがあるのだろう。それがよくいう、「大陸的」な考え方、というのだろうか。
特に、ジーンは、「このバーモント州はアメリカの中でも貧しい州だけれど、だからと言って便利さを追求して、産業を呼び込もうとはせず、この豊かな自然を守るために、みんなが納得して厳しい自然の中に住んでいるの」と言っていた。ジーンも、かつてカリフォルニアのシリコンバレー近くに住んでいたが、アメリカの中でも更に生き馬の目を抜く競争が行われている場所に住んでいてが、忙しさに疲れて、このバーモントに引っ越して来たらしい。
ニューポートから1時間半ほどでモントリオール国際空港に到着。ゲイブは今年の年末に日本に来るとのことで、またね、という軽い感じで、ジーンは「またいらっしゃい」と言ってくれて、再開を誓って、僕らはゲイブ親子の乗った車を見えなくなるまで見送った。
さて。またここから日本への長い旅が始まる。モントリオールから、今回利用したアメリカン航空のハブ空港である、シカゴ・オヘア空港へと飛行機は飛びたった。シカゴに着くと、シアトルの空港で騙されたのを教訓に、たくさんコーリングカードを買っておいたはいいが、結局半分以上残ってしまった。しかも有効期限が使用開始から3ヶ月なので、1時間の乗り継ぎ待ちの間に、持っていた電話帳をめくって片っ端から電話を掛けまくった。だが、現地時間は朝早いということもあって、みんな留守電で、やっとシンノスケにつながった。自分らがバンクーバーを離れた後、コリーと自転車に乗って、その上手さにブッとばされたらしい。でも、自分らがコリーとみんなが仲良くなるキッカケを作ったみたいで、そう言われてうれしかった。
シカゴからは成田まで1万キロ。周りには夏休みも終わりに近く、ホームステイから帰ってきたらしき人が多かった。どこそこは良かっただの、英語の何それがダメだったと話していて、自分が初めてアメリカに行った時のことを思い出したりした。13時間のフライトの後、成田に着くと、なんかアメリカ1週間の旅から帰ってきた、というより、1ヶ月くらい世界中を飛び回ったかのような、ズーンと体の芯に残るような疲れを感じた。
旅を終えて、一番印象に残ったことはやはり、英語の至らなさに叩きのめされたことだ。一方で、今まで知り合いだったが深くは知らなかった、ヒデやシャーリー、シンノスケ、それとゲイブらと深く話せたことが、自分を成長させてくれた。以前の旅で、自分はどこでも友達を作れる自信はついたが、やはり難しいのはその先だ。いかに仲良くなれるか、そしてお互いを向上させられるような仲になれるか。今回こうして語り合ったみんなが日本に帰って来た時、または日本を訪れた時、またステップアップさせて行きたい。自転車を通じてみんなと知り合ったのは事実だが、自転車に乗れるのなんて、人生の本当に僅かな期間だけだ。それを考えたら、自転車を上手くなることも大切だが、それを通してやっぱり最後まで残る、「人間」も磨いていかないと、自転車に乗れなくなったとき、寂しい人間になってしまうのではないだろうか。