SENN Project Japanese: 2002年ヨーロッパ旅行記

« Circle Of Balance 2002 | メイン | 2003 スリランカトリップ (Dig-it Zine) »

2006年06月24日

●2002年ヨーロッパ旅行記

2002年、ちょうど各国通貨からユーロに通貨が統一される年の冬、ドイツに住むwethepeopleの社長、クラウスディーバに会うために、冬のドイツへと旅をしました。その時のつながりが今もこうして生きていると思うと、すごく感慨深いです。

 12月29日、仕事納めの次の日に、僕は成田空港の第1ターミナルに立っていた。今度はドイツに行くためだ。去年の終わりに、ドイツのBMX雑誌、Freedom BMX magazineのクラウス・ディーバと知り合って、以来KOGの記事やインタビューを載せてもらうようになった。更にはメールを通して、自転車に関する話のみならず、日本文化や、自国の文化に対する話をする内に、実際には1度もあっていない彼にひどく親近感を覚え、一度会ってみたい、と思うようになった。

 実際、11月にあった国際自転車見本市に来日したクラウスと対面することが出来て、少し話をすることが出来たが、彼は仕事、僕は大会のジャッジで忙しく、あまり話をする時間がもてなかった。だがその時僅かに話しただけだったが、かなり気が合いそうな予感があった。そして今回も、夏にひき続きウチの妹と旅することになった。

 オランダのKLM航空でヨーロッパへ。朝の11時に成田からオランダのアムステルダムにあるスポケーン国際空港まで11時間。そこから小さなプロペラ機に乗り換えてケルン空港まで1時間のフライト。乗り継ぎも含めると約14時間で目的地のケルン空港へ到着。小さな空港かと思いきや、羽田よりちょっと大きい。

飛行機を降りて、イミグレーションに向かうと、アメリカや日本に入国する時のような厳しい入国検査もなく、なんか気が抜けてしまった。あっさりと入国ゲートをくぐり、ガラス張りの到着ロビーに出る。外の空を見上げると、もう真っ暗。空港内の時計は5時を示している。

エントランスに目線を下ろすと、迎えに来てくれたクラウスが目に入った。再会を喜んで少しその場で話した後、外に出ると、小雪が舞っている。風はないが肌を切るような寒さだ。寒さから逃げるようにすぐさまクラウスのシトロエンに乗りこんで、有名なドイツの高速道路、「アウトバーン」を走る。だが車の中で話が弾んで、高速の出口を通り過ぎてしまった。道を間違えたこともあって空港から30分ほどかかってしまったが、ケルン中心部に程近い、住宅街の一角にあるクラウスの家に着いた。

クラウスの住む家は平屋で、クラウス、Freedom BMX magazineの編集長トーマス、wethepeopleのデザイナー、ハリー、それと自動車関係の仕事をしているディークの4人がシェアして住んでいる。wethepeopleのオフィスも一緒にくっついていて、屋内ガレージなども含めるとかなりの大きさだ。

家の中に案内されると、今トーマスがスペインに取材に行っているから、帰ってくるまで部屋を使っていい、という。手馴れた様子でシーツとブランケットを持ってきてもらって、妹と2人でトーマスの部屋を借りることになった。
何にも食べていない事を言うと、食事に行こう、ということになって、クラウスの彼女、サラと、妹の4人で、歩いて10分ほどのところにある、ドイツ料理レストランへ入った。

アメリカとかでもメニューの説明からだけでは、どういった食べ物なのか想像するのが難しいが、ドイツ語で書かれているからもうお手上げ。クラウスとサラに説明してもらって、とりあえず珍しいものが好きな僕は、鹿の肉というのを食べてみた。オージービーフをさらに固くしたような感じで、あまり美味しくなかった。

それとケルン名産のケルッシュというビールも飲んでみた。ドイツではビールをオレンジジュースやシロップなどとミックスすることもあるらしく、試しにオレンジジュースとケルッシュのミックスを頼んでみた。ケルッシュは日本のビールと違ってマイルドなので、なるほど、オレンジジュースみたいな甘い飲み物と併せても、なかなか合う。ホロ酔い気分で家に帰ると、その日は長時間のフライトで疲れていることもあって、崩れ落ちるようにベットに転がり込んだ。

12月30日。どこからか聞こえてくる鐘の音で目をさます。よく耳を澄ますと、あちこちで鐘が鳴っている。そうだ、今日は日曜日だから、教会の鐘だ。礼拝を知らせる鐘の音だ。その音で「ああ、ヨーロッパに来たんだ」という実感が湧いてきた。

まずは腹ごしらえと、キッチンへ行こうとすると、ちょうどハリーが起きてきていた。そこでヒロ(森崎弘也)に聞いていた、ケルンのシンボル、Domに行きたい、と聞いてみると、連れて行ってくれるという。

ささっと支度をしてハリーと妹の3人でケルンのシンボル、大聖堂(ドム)に向かった。家から地下鉄の駅まで徒歩5分、そこから電車に10分ほど乗ると大聖堂前に着いた。

高さ150メートル近く。1200年代に着工して、1800年代後半に完成したが、その巨大さゆえに常に補修工事が行われているこの建物は、その巨大さで人を圧倒する。それもただデカイだけでなく、上から下まで細かい彫刻が施され、完成に600年かかった、ということは孫、曾孫ではすまない。ほとんどの人が完成を見ぬまま死んで行っただろうに、どうしてそれほど多くの人が、その一生をかけてこの大聖堂の製作に関わり続けたのか、もはや想像を絶する。

ヨーロッパには、100年以上たった今も作成中の、スペインのサグラダファミリアなど、完成までに何百年という歳月がかかっている建物が数多く存在する。しかもそういった特別な建物に限らず、普通に街中に立っている家でさえ、100年以上の歳月を経たものが多く、傷みや不便さがあるだろうに、普通に直して、普通に人が生活している。そういった「過去のものを受け継ぐ」という意識に、日本人とヨーロッパの人々との、文化的根源の違いを感じた。

中に入ってみると、その日は日曜日とあって礼拝が行われており、普段はDomの上まで登れるのだが、礼拝中とあってか階段へのドアが閉まっている。仕方なくドムの外をグルっとまわって、ライン川に架かる橋に向かって散歩した。橋の途中までくると、ハリーが「雪だ!」というので歩いて来た方向を振り向くと、遠くから白い粉が遠くからこっちへ向かってくる。映画撮影のような、わざとらしいその粉にブァーッと巻かれて目をつぶる。顔を上げると、周りが突然、雪景色に変わった。狐につままれたような、というのは正にこういう感じ、と思いつつ、いきなり寒くなって、雪もガンガン本降りになってきたので、小走りで慌てて家へと戻った。

家に帰ってキッチンへ行くと、クラウスとその彼女のサラが朝飯の用意をしている。朝食は固いドイツパンに、ソーセージ、チーズ。これがウワサのソーセージか、と食べてみるとやはり本場のソーセージは美味い!しかも特別なものではなく、簡単にスーパーで手に入り、長さが40cm位、太さが直径5cm位のもので300円程度と、かなり安い。

更にカマンベールチーズも安いのにやたら美味い。日本のチーズにありがちな乳臭さ&独特の酸味が無く、味もマイルドでなので、日本のチーズは嫌いだが、こっちのチーズならいくらでも食べられそうな勢いだ。

朝食の後、クラウスとハリーの事務所へ行ってみた。みんなの部屋と、室内ガレージを挟んで向かい側にあるオフィスは2階建て。下は作業場になっていて、プロトタイプやら工具やらが雑然と置いてある。2階が事務所で、クラウスとハリーが向かい合ってマッキントッシュG4にかじりついて仕事をしていた。

ハリーは3DCADのようなものを使って2002モデルのグリップの設計をしている最中で、クラウスはホームページのメンテなどをしていたが、クラウスいわくオフィスと部屋が近いから、ヒマになるといつでもオフィスに足が向いて、仕事をしてしまうので、あまりいい環境じゃないなー、と言っていた。

昼過ぎになって、クラウスのもう1つの仕事、ドイツを代表するBMX雑誌であるFreedom BMXのオフィスにも行くことが出来た。ケルン中央駅から歩いて5分ほどのところにあるアパートの1階がFreedomの属する出版社の事務所になっていて、外から見ると狭いアパートにしか見えないのだが、中に入ってみると、1階だけで10部屋くらいに分かれていて、小さいながらも室内スタジオもある。総床面積4,50㎡はあるだろうか。

この出版社では他にもモトクロスバイク、スノーボード、スケートボード、マウンテンバイクの雑誌を出していて、一番奥の部屋がFreedom BMXの編集部になってる。

ちょうど最新の号が出る時で、この号に載せるフランク・ルーカスのインタビュー用の写真が机に置いてあったのを見せてもらうと、フラットランドライダーのインタビューには珍しく写真は全部遠くから撮った写真ばかりだ。クラウスに尋ねると「フラットランドは基本的には孤独なものだから、その孤独感を写真の中に表現したかった」と言っていた。
夜になってクラウスと人生について色々と話をした。自分は、自転車に乗って、会社に行って、写真を撮って、原稿を書いて、大会の運営を手伝って、英語をやって、と様々なことをやっているけれど、いつかはどれかに絞らなければならないのかな、と思っていて、同じように色々なことをやっていて、上手く全部を調和させているように見えてクラウスにコツを聞いてみたい、と思っていた。

それを話すと、クラウスも同じように大学に行って、雑誌をやって、自転車を作って、乗って、音楽もやったりして、やりたいことを幾つも抱えた生活をしているが、それだけ多くのことを一度に手がけている以上、絶対、全てに100%の力はかけられないし、でもやりたいし、最終的にどうするか、ということが見えていないのが悩みだ、と言っていた。

「なんで30近くになっても大学に行っているの?」と聞くと、ドイツではある意味、日本より学歴社会で、パン屋になるならパン屋の学校、靴屋になるなら靴屋の学校を出ていないと雇ってくれないらしい。また大学はほぼ無料で、学生でいると交通機関がタダになったりと、かなりの優遇措置があることもあって、みんな学生でいることが多いのだそうだ。

いずれにせよ僕が日本から抱えてきた宿題はそう簡単には片付かなさそうだ。この日も夜の2時くらいまで話し込んでしまって、疲れてシャワーもあびずにベッドに倒れ込んだ。

12月31日。大晦日。この日は朝から買出しに出かけた。日本の大晦日というと静かなイメージだが、こちらはスーパーに行くと、沢山の人でゴッタがえしている。正月の数日間はみんな店が閉まってしまい、日本と違ってコンビニなどという便利なものが無いので、2,3日分の食料を買い込むらしい。

スーパーであれこれ物色している時に、お菓子コーナーに来た。それで「ドイツ伝統のお菓子は何?」とクラウスに聞くと、「キャティキンダーだ」という。クラウスの大好物ということで、マズくても俺が食べるからいいよ、というのにつられて買ってみたのだが、黒いグミで、猫の形をしたそのグミの匂いをかいで見る。ちょっとイヤな予感。1口たべてみる。おっ?大丈夫・・・ぉえっ!!!!!!!!こう、なんとも形容しがたい味。口に残る、ゴムの焼けたニオイがして、ゴムと草かなんかを一緒にしたような苦しょっぱい味。ドイツ人にとっては、日本でいうニッキとかの類に入るのだろうか。

買い物を済ませた帰り道で、たまたま立ち寄ったパン屋で偶然サラと会って、昼飯でも食べに行こうと、その友達とウチら3人の5人で軽食屋に入った。

そこでクレープを注文したのだが、中に甘系のものが入っているのではなく、野菜や肉等の惣菜が入ったもので、なかなか美味しかった。最後に勘定する時になると、ウェートレスがウチらのテーブルまで財布を持ってきて、目の前で計算を始めた。しかも手計算。ドイツにいる間に何回か、こうした店に入ったが、ドイツ系の店はほとんど同じだった。ちゃんとレジがあるのに、レジでやらないのが不思議だ。

その後クラウスがドイツ最大のディストリビューター、WTPディストリビューションに連れて行ってくれて、オーナーのでwethepeopleの創設者、ステファン・プラントルとそこで働くHoffman Bikesのサポートバートライダー、アキーム・クャウスキーに会うことが出来た。彼らがドイツ、特にケルンで行われる大きな大会、世界戦やその他の大会を一手に仕切っているらしい。

これはチャンスと、ステファンに日本のKOGのことも話して、これから大きくなっていくにはどうしたらいいか、ということを大まかに聞いてみた。

ドイツでは最初の頃、5分ほどの小さなプロモーションビデオを作って、テレビ局に売り込み、一旦テレビが放送してくれることになった後、エージェントを雇って大きなスポンサー、ドイツでいえばPlayStation(Sony)やCarhartがつくようになった、という。日本で同じ方法が使えるかどうかはわからないが、近い方法で実現していくのが現実的なんじゃないかな、と教えてくれた。

2,30分話した後、Freedom BMXの事務所に立ち寄って写真をコンピューターに取り込んだりした後、夕方になって、大晦日のケルンの町に散歩へと出かけた。途中から小雪がパラつき始めて、ほとんどの店は閉まって、それほど人も見かけないのだが、飲食店だけはどこもやっているようだった。

小腹が減ったところで、クラウスが何を食べたい?と聞くので、「ドイツの伝統的メニューがいいな」と言うと、近くのハンバーガー屋に入った。そこではローストビーフらしきものと、いわゆるジャーマンポテトというのか、太めのポテトが売られており、早速ローストビーフを挟んだハンバーガーと、ジャーマンポテトを頼んだのだが、もうギトギトのテカテカ。絞ればボタボタ脂が落ちそうなほどテカったローストビーフで、美味いことは美味いのだが、2、3回かぶりついただけで口の周りがベトベト。さすがに次の日は胃がもたれた。とりあえず脂系の「ドイツ伝統料理」はもうたくさんだ。

食事の後、すぐ家に帰ると、クラウスの家のキッチンでは既にパーティの用意が着々と準備され、フルーツパンチやケース入りのビールが所狭しと並べられている。

日本の大晦日はシーンと静まり返って、12時近くになると除夜の鐘が鳴る、という静かな時間が流れるのを想像するが、ここドイツはまったく正反対。クリスマスは家族だけで過ごすことが普通らしいが、新年は友達で大パーティを開くのが習慣らしい。

8時くらいになって、パラパラと人がやって来ると、僕らも日本から持ってきた餅を電子レンジで温めて、砂糖とキナコをまぶして出してみた。みんなトライしてみてはいたが、1口食べて、もういいよ、という奴が多かった。でも一緒に持ってきていた日本のお菓子類、羊羹や大福、カシューナッツ類は売れていた。

10時くらいになると、いよいよパーティも本番に入ってきて、人もどんどんやって来る。みんなと少しづつしか話せなかったけれど、Freedom BMXの写真や、ヨーロッパのBMX雑誌に写真を載せているカイ・クラウバーグに会うことが出来た。カイも最初は雑誌のために写真を撮らなければならない状況になって写真を始めて、のめりこんでしまい、今は写真に限らず、普通のデザインと写真、などを総合的に勉強するために大学でデザインを学んでいるという。

その内、CoreXでもおなじみのアレックス・ベンダー、マーティ・ローズなどをサポートするChico Clothingの社長、ロージィなどもやってきて、キッチンは大賑わい。

年齢層は30代前半くらいが中心ということもあって、みんな飲みまくるは飲みまくるけれど、ベロベロになる、ということもなく、ある意味落ち着いた雰囲気の中、パーティは進んだ。クラウスの家に来る人たちはみんな、結構年齢層が高い人だけかと思っていたが、若手ライダーも来ていた。中でも話し方がしっかりしていて、好印象をもったのがストリートライダーのパトリックだ。後でクラウスに聞くと、まだライディング歴3年位なのに、バックフリップtoマニュアルなどをメイクしてしまう才能あふれるライダーらしい。ドイツにもまだまだメジャーシーンには出てきていないが、凄いライダーが沢山いそうだ。是非6月にケルンで行われる世界選手権にはまた戻って来て、全種目を通して見てみたいと思った。

パーティも盛り上がりを増して来て、みんなが外に出始めた。何?と聞くと、カウントダウンをやるという。そして12時を回って新年を迎えた瞬間、街の至る所で花火が飛び交い始めた。ロケット花火、ねずみ花火、なんでもあり。爆発音と共に、たちまち硝煙の匂いがあたりに立ち込める。やっと昼間にみんながスーパーで花火を買い込んでいた理由がわかった。周りを見ると、新年おめでとう!と声を掛け合って近くにいる人たちと抱き合っている。

あまりにも寒いのでしばらく外で花火を見たあと、中に戻ったが、興奮が醒めてきた途端、どっと疲れが出てきた。そのまま部屋に戻って寝たが、ずーっとうるさい。だが疲れもあって気が付いたら寝ていて、目を開けると朝になっていた。

2002年元旦。起きてキッチンに行くと、ハリーがムスーッとしながら彼女のエルケと黙々とキッチンの掃除をしている。後でクラウスに聞くと、クラウスやハリーがパーティはお開きだ、と言っているのにみんながダラダラ居座っていた事に、ハリーは相当腹を立てていたらしく、メチャクチャ機嫌が悪かった。僕らは僕らでブラシを持って、前日パーティのメイン会場になっていたガレージにいって、後片付けを始めた。

昼くらいになると、クラウスが起きてきたので、昨晩の話を聞くと、僕らが寝た後、他のパーティが終わってからみんなクラウスの家に来たらしく、いい感じに出来上がっちゃった人ばっかりが押し寄せたので、追い出すのに時間がかかって、結局6時くらいまでバタバタしていたとのこと。僕らがビンや食べ物を片付けた後、クラウスは洗剤を撒いてガレージを掃除していた。

だが大騒ぎも大晦日だけ。ドイツの人たちは12月31日まで働いて、1月1日は休むけれど2日からはもうみんな働き始めるのが普通らしい。クラウスに聞くと、ヨーロッパでは新年というのは日本と比べると本当に1つの祝日程度の意識で、クリスマスの時は盛大に季節の区切りとして祝うけれど、新年はそれほどでもない、と言っていた。
それと大晦日で多くの人に出会ったが、改めて思ったのは「一期一会」という言葉だ。昼間に会ったステファン・プラントルも、「夜のパーティに行くからそこで話そう」とかいっていたけれど、結局会えなかったし、その場で色々聞きたいことを聞いておいてよかった、と思ったし、夜のパーティに来ていたみんなも、また会えるかどうかわからない人たちばかりだったので、途中で眠くなって寝てしまったが、後で考えると、誰かに会えるチャンスがあったら、最大限それを生かせるようにしないとダメなんだな、ということを忘れていた。2年前のアメリカに長期滞在していたときにあれほど学んだことだったのに、人間、時間が経つと、経験も色褪せていくな、と反省した。

のんびり飯を食べて、昼くらいからFreedomのオフィスにまた行って、アーカイブに保存されている、過去のFreedomで使用した写真などを見せてもらった。中版カメラ(ミディアムフォーマット)で撮られた写真なども初めて見ることが出来た。

その中に以前、Feltという自転車メーカーの自転車の広告で、マーティ・ローズが忍者の格好をして岩の上に座って、自転車がその下に立てかけてあるような写真があったのだが、実はちゃんとライディングの写真もたくさん撮ってあって、カッコイイ、と思う写真がたくさんあるのに、何故か岩の上でただ座っている写真を選んでいたという事実を知った。僕もよく写真を撮って、自分がいい、と思う写真は何故か選ばれないのだが、この広告の写真もたぶん撮った人と選んだ人が違うような気がする。その方が、撮り手の先入観念が入らない分、いいものが選ばれるのかもしれない。

午後からはクラウスと3人でケルン近郊にある城に向かった。車で2,30分走っただけなのに、雪が30cmくらい積もっていて、ケルンとはうって変わって肌を刺す寒さ。切り立った山の頂上に、その城はあった。中に入ると牢獄があったりして、まったく窓がない。しかも夕暮れで薄暗くなってきているのに、その牢獄の中には骸骨がぶら下げられてたりして、ひどく気味が悪い。その城自体もなんか全体的に薄暗くて、気味が悪かったが、ヨーロッパの人はこれが普通のように思っているらしい。

城の中は博物館になっていて、昔の甲冑や生活道具、お金などを見ることが出来た。300年くらい前に、すでに鉄製のポットや食器を使っていたようで、甲冑もや鎖帷子ももちろん鉄製で、ヨーロッパは「鉄の文化」という感じを受けた。

一通り見物した後に、城の中庭にあったレストランでワッフルを食べて、「まだ次にいける体力ある?」とクラウスが聞くので、「ありますがな」というと、それから近くにある水の博物館というのに向かった。博物館の建物は100メートル近い高さで円筒形をしており、1回が博物館のようになっていて、2階から上がオブジェになっていたのだが、それがとてつもなく高い。エレベーターで頂上まで行ってみると、下は目もくらむ高さ。クラウスは高所恐怖症らしく、塔の外側に出て頂上まで行ける、といったのだが、「いやいいよ」といって外には出なかった。僕は-5度という温度にも関わらず外に出て、頂上まで行ったが、何にも無くて、ただ寒いだけだった。

その後近くのマックで飯を食べていると、サラから電話があって、クラウスがなにやら話している。サラはこういったジャンクフードが嫌いらしい。マックにいる、というと怒るから、外で適当に食事してくる、と言ったらしい。
帰りの車の中で、wethepeopleのコンプリートバイクのマーケティングについて話をした。日本ではいいパーツを組んで、ある程度の値段がするチャリじゃないと売れないのだが、イギリスではとにかく安くないと売れないらしい。しかもどっちの国もすぐ壊れるようなものだと二度と買わなくなるから、そのさじ加減にいつも頭を悩ませているらしい。クラウス的にはいいパーツを組んだチャリを売りたいらしいのだが、商売は、自分の好みだけでは上手く行かないのが難しい、と言っていた。

それとwethepeopleに関わるようになった背景も聞けた。若い頃はクラウスはScwheenのライダーとしてショーをこなしていたが、その元締めがステファン・プラントルで、ステファンがwethepeopleという会社を作ってから自然とそれを手伝うようになっていって、その後ハリーが入ったりして、今の姿になったらしい。
家に着くと、次の日に妹がボンにあるベートーベン博物館に行きたい、というので、ついでにボンで練習することもあるフランク・ルーカスにも連絡してみよう、と言うことになって、ケルンの駅に切符を予約しに行ってから、ベッドへ倒れこんだ。

1月2日。クラウスがフランク・ルーカスに連絡を取って、ボンで会えることになったので、3人でボンに行くことにした。途中、朝早く仕事に出かけたサラに、パンを買っていくため、近くのパン屋に立ち寄った。

2002年の元旦からユーロに切り替わったこともあって、お店ではマルクを貰っても、ユーロで釣りを出さなければいけない。若い人はそうでもないが、おばちゃんや、おじさんはレジで大騒ぎ。マルクしか持っていないクラウスがお金を出すと、パン屋のおばちゃんは大慌て。娘を呼んだり、なんだかんだして、パンを受け取って店を出るのに10分近くかかった。そこからサラの働くデザイン事務所に向かう。

Milkというこの会社はさすがデザイン事務所というだけあってオシャレな外観。中ではなんと犬を飼っていて、サラに「なんで犬がいるの?!」と聞くと、「え、日本の会社には犬はいないの?!」と逆に驚かれてしまった。

そこで妹が行きたい、とういベートーベンの家の地図をインターネットで調べてもらった後、ボンへ車を走らせた。ケルンから車で20分ほどのこの街は、ドイツが統一される前までは首都として栄えたが、クラウス曰く、政治以外の主だった産業がなかったこの街は、首都がベルリンに移ってからかなりサビれた、と言っていた。確かに重厚な建物や、高級車が多いが、それほど活気がある、というほどでもない。でも1000年近くの歴史を持つボン大学など、長い歴史を感じさせるものが多い街だ。

まずは手持ちのマルクをユーロに変えようと、近くの銀行に行ってみるが、どこも長蛇の列。ヨーロッパでもカードが普及しているとはいえ、やはり手持ちのマルクは1,2ヶ月ほどで使えなくなるということもあって、みんな銀行に現金を手に駆け込んでくる。かなり待ちそうな雰囲気なので、とりあえず帰りの電車代+αを、クラウスにユーロで貸してもらって、待ち合わせ場所の美術館へと向かった。この日も-3度という気温で、立って外で待っているには寒すぎるので、美術館の中で待つことにした。

15分ほどしてフランクとその友達のステファンが現れた。彼らの住むコブレンツという街からもボンまでは同じく20分くらい、ケルンとコブレンツのちょうど中間地点らしい。早速乗り始めた2人だが、あまりにも寒すぎて、いくら乗っても体が温まらない。ビデオとかでよく見るフランク・ルーカスの十八番トリック、Fトラックタービンもなかなか決まらず、かなりイライラしていた。それでも何枚か写真は撮れて、そうこうしているウチにあっというまに夕方になってしまった。

クラウスが、「フランクはよくフランスに遊びに行くから、近くフランスに行く予定があるか、聞いてみたら?」と言っていたので、フランクに近々フランスに行く予定はある?と聞いてみると、既にパリのアレックス・ジュメリンの家にしばらく遊びに行って帰ってきたところで、すぐ行く予定はない、という。

フランクはほとんど乗りっぱなしで、全然話せないまま終わり、というのもイヤだったので、次の日はフランクの地元、コブレンツに行く約束をして別れた。ボンからケルンまでは電車で1時間ほど。ドイツ語の駅名は全然わからないし、どの駅も同じように見えるので、かなり心配だったが、乗り換えがなくてよかった。

クラウスの家についてから、予定を建て直し、次の日にコブレンツまで行くが、フランスも捨てがたい、と思ったので、その次の日にフランスのジュメリンの家に行き、1泊してから次の日にケルンに戻ることに決定。またまた色々な手配をクラウスに頼んでしまった。

クラウスはジュメリンとは直接面識は無いらしく、同じフランスのライオネル・カルドソに連絡して、ジュメリンにパリ駅まで迎えに来てもらうよう頼んでもらった。その後クラウスとケルン中央駅にコブレンツ行きの切符を買いに出かけた。

コブレンツまでは片道約10ユーロ。特急電車で1時間という距離の割には安い。フランス往復は118ユーロで、特急で4時間かかるという。朝一番の電車でパリ駅に向かい、帰りも朝1番で帰ってくることにした。その後次の日はさすがにユーロが沢山必要になる、ついに避けて通っていた銀行の長蛇の列に並ぶことになった。

並ぶこと30分。なんとかユーロの現金を手にした僕らは、夕飯を食べに、トルコ料理のファーストフードのような店に行ってみた。ヨーグルトみたいな飲み物や、羊っぽい、パサパサした肉だったが、総合的には結構行ける。ペロっと平らげて、朝一番の電車に遅れないように、早めに床についた。

1月3日。またまたクラウスにお世話になって、朝の8時にケルン中央駅まで送ってもらって、IC特急で、うつらうつらしていると、1時間ほどで到着。駅に着いて公衆電話からフランクに電話すると、すぐに迎えに来てくれた。フランクの車は最新型のシビックで、マニュアル車。ドイツではオートマよりマニュアル車の方が多いらしい。

朝飯もとらずに来た、とフランクに言うと、行き着けの店に連れて行ってくれるという。山沿いの道を走り、平地に出て目の前が開けてくると、ライン川のほとりに出た。川沿いの駐車場に車を止め、コブレンツの街を歩く。ほっそりした屋根と、白壁に木の柱が幾何学模様を作る壁が続く町並み。そんな僕のイメージしていた「ヨーロッパ」が目の前に広がる。

ケルンは第2次世界大戦で、ドムなどの歴史的建造物を除いて、焼け野原になってしまったらしく、古い建物と新しい建物がミックスした町並みになってしまっているが、ここコブレンツは古い建物がそのまま残っているようで、ちょっと細い路地に入ったりすると、まるで映画の1シーンのようにどこもサマになって見える。

5分ほど歩いてお目当てのレストランに到着。モダンで落ち着いた感じのレストランだ。フランクが「ガッツり食いたい?それとも少しでいい?」というので「ガッツリ」というと、盛りだくさんの朝食メニューを注文してもらった。しばらくして出てくる出てくる、チーズにサラダ、オレンジジュース、半熟タマゴにカゴいっぱいのパン、フルーツと本当に盛りだくさんの内容。だがアメリカと違って大盛りというと、それこそ3人前くらい出てくるのと違って、ドイツでのレストランの量の感覚は、日本での感覚とそれほど変わらないので安心して注文できるのがいい。

食べながら、「なんでアメリカや日本の大会に行かないのか?」と聞くと、「飛行機が怖い」らしい。それもただ怖い、というのではなく、いわゆるパニック症候群のような病的なもので、飛行機を目の前にすると心臓が止まりそうになるらしい。特攻野郎Aチームはドイツでも放映されているらしく、「飛行機が怖くて、いつも飛行機で移動する時は気絶させられる、特攻野郎Aチームのコングだよ、俺は」と苦笑していたが、その後、真顔で「なんとか克服したい」とポツリと言っていた。

食事の後、歩いてフランクが普段練習する場所に行った。そこは街の真中にある広場で、路面は滑らかな石のタイルで結構調子よさげだったけれど、冬の間は雪と寒さでここでは乗れない、と言っていた。しかも日本では、雪を融かすのに塩を撒いたりするけれど、環境によくないので、ここいらではおが屑を撒くらしい。というわけで雪が融けても水を吸ったおが屑がそこいら中に残っているので、冬は晴れてもいずれにせよ乗れないのだそうだ。

マーティ(クオッパ)にしろ、フランクにしろ、日本に比べたら乗る場所も季節も限られて、一緒に乗る仲間もいない、といった圧倒的に悪い環境の中でこれだけ上達できるのは凄いと思う。ヨーロッパはそんな、筋金入りのハードコアなライダーが多いようだ。

フランクがお母さんを拾って帰る、というので待ち合わせの時間まで少し、コブレンツの中心街をブラブラした後、近くのスーパーでフランクのお母さんを拾って、フランクの家に行った。小高い丘の上のアパートに住んでいて、お父さんはスーパーを2つも経営している実業家らしい。そういうわけで新車のシビックもポーンと買えるわけだ。しかもブルース・ウィリスに似ていて、ニューヨークに行った時は道を歩いているだけで大騒ぎになったらしい。
そこで朝飯を食べたばかりにもかかわらず、また今度は早めの昼飯を食べさせてくれることになって、ドイツの家庭料理というものを食べた。でもメニューはいたって簡単。マッシュポテトにステーキ、キャベツの塩漬けにアップルペーストとたった4品。日本のバラエティに富んだご飯に比べると素っ気無いが、どれも美味しかった。前日は早い朝飯と遅い夕飯というちょっとツライ状況だったが、この日は食い倒れモードになって、ちょっとウップという感じになった。

その後はフランクの彼女を拾って、ライン川とモーゼル川の合流するところを一望できる丘に行き、そこに立つ城に行ってみたりした。ただ、彼女がいるとフランクはもうそっちに気が行ってしまって、ウチらはそっちのけになってしまった。まだまだ若い。次に川の合流地点に立つウィルヘルム1世の像の下まで行って写真を撮りまくった。

その後フランク&彼女のご両人は2人きりになりたい、といってウチらをライン川博物館の前に置き去りにして行ってしまったので、博物館に行ってみた。中にはキリストの絵や、肖像画、風景画が展示してあって、風景画はほとんどが例のモーゼル川とライン川が合流する場所が入った絵ばかりだったが、ドイツ人は「母なるモーゼル川と父なるライン川」と引用するのが好きらしく、その思い入れが絵から伝わってくるような気がした。
なんだかんだ言って1時間はすぐに過ぎ、迎えに来てくれたフランクと一緒に彼女を家まで送った後、そのまま車でアウトバーンに乗り、ケルンまで送ってくれることになった。

アウトバーンを走るのには最低限のルールがあるらしく、だいたい3車線なのだが、一番右の車線が遅い車で、左に行くほど速い車線になるらしい。というわけで、前の車を抜くときは絶対左側からしか抜いてはいけないらしい。みんなそれはちゃんと守っていて、一番左に遅い車がいると、ずーっと待っているし、みんなちゃんと後ろを見ているので、すぐに右にどいて、左側を200Km/hは軽く越えているだろう、というスピードで車が走り抜けていく。
ドイツはアメリカとかと違って、日本車を見ることが少ない。だいたいオペルやボルクスワーゲンで、でも何故か、左側をぶっとんでいく車には日本車が多かった。フランクも常に180km/hくらいのスピードでガンガン左車線を走って、あっというまにケルンに到着。

サラとクラウス、ウチらの4人で日本食レストランへ行こう、ということになっていたので、フランクも誘ったが、用事がある、ということでそこで別れて、今度はクラウスと、サラを家まで迎えに行くことになった。

クラウスの家から10分ほどでサラの住むマンションについた。サラはデザイナーというだけあって、部屋は赤を基調にした家具でセンスよくまとめられている。壁にはクラウスが日本でお土産として買っていった、「こげぱん」とかのキャラクター物が沢山あって、サラ自身は一度も日本に来たことはないそうだが、日本のキャラクターが好きらしい。そこでちょっと雑談した後、日本食レストランへと向かった。

アメリカでもそうだったが、外国の日本食レストランは何故か中国人や台湾の人がやっていることが多い。このレストランもご多分に漏れず中国人が経営する日本食レストランで、日本食レストランなのに何故か日本語が通じない。

カナダで日本食レストランに行った時は、ウェイトレスは中国の人っぽかったけれど、受け答えは日本語だったのに・・・と思ったが、まあそれはいいとして、まずは注文をする。

僕は鉄火丼、妹は巻き寿司、クラウスはから揚げを頼んだ。ところがいつまでたってもブツが出てこない。前回に入ったクレープレストランもそうだったが、ドイツのレストランでは日本の2倍は待たされる。クラウスとかに聞くとそれが普通、みたいなことを言っていたが、これだと日本のペースに慣れた人だと耐えられないだろう。

さてやっと出てきたと。鉄火丼は普通だが、妹の頼んだ巻き寿司はカンピョウ巻きオンリー。クラウスが頼んだから揚げだが、僕がやめとけ、って言っているのに、先に醤油をたっぷりかけちゃって、「塩っからい」といいながら食べていた。サラは普通の寿司を頼んで、箸の使い方も上手く、かなり手馴れた様子。

仕上げに抹茶アイスを食べて、満腹。というか、食べ過ぎた。前日の空腹感を挽回するかのごとく食べまくった1日だった。膨れた腹を抱えながら、サラを自宅まで送った後、クラウスが「まだ体力ある?」というので、「何で?」というと、「ドュッセルドルフで週末だけやるバーがあるんだけれど、そこに行く?」という。左寄りの人が集まるバーで、でもドイツではバーとかを経営すると税金とかが高いので、芸術家の会合、という名目で毎週1,2回やるんだそうだ。それでそこに来るのはクチ込みとかで集まった人のみで、半会員制みたくしてお金を取ってやっているらしい。

チャンスがあればかじりつくと決めたんで、もちろん行くことに決定。アウトバーンを1時間ほど走って、日系企業が集まる街、ドュッセルドルフに着いた。

そのバーは交差点の角っこにあって、ドアを開けるとタバコの煙でもうもうとケムっていて、足の踏み場もないほど人が入っている。年齢層は高く、一見30前後くらいの人たちばかりだ。

そこでクラウスの友達で、このバーの主催者という人に会わせてもらった。その人はあまり英語は上手くなかったけれど、日本の伝統、っていうのは現代の日本にも受け継がれているか?と聞かれて、返答に困った。多分僕らの中に無意識的は存在するのだろうが、日本にいるときではそんなことは考えたことなかったし、改めて日本のことを何にも知らないな、ということを知った。

アメリカでは、自分がどうか、という「個人」しか見られないし、個人の背景に関しては聞かれることもほとんどなかった。しかしここヨーロッパに来て、年長者に限らず、自分らぐらいの世代の人からも、バックグラウンドとなるもの、自分の「ルーツ」を聞かれることが多かった。ある意味日本も近いところがあるかもしれない。

バーではクラウスが結構飲んで、帰りは僕が運転することになった。夜だったが、初アウトバーン走行だ。助手席では何回も高速に乗っていたが、自分で走ってみると、大都市近郊にも関わらず、街灯が無いのに気づいた。それなのに他の車は、昼間と変わらないスピードで、ウチらの車が止まっているかのごとくブチ抜いていく。

こっちは初アウトバーン&暗くて全然カーブの先が読めないので、一番右車線を80km/hくらいでトコトコと走って帰ってきた。

ケルンの家に着いた時にはもう夜の2時。次の日はフランスに6時の列車を予約していたので、5時半には起きないとマズい。また寝不足だ・・・だがそれが短期間旅行の宿命。部屋に入ると、そのままベッドに撃沈。

ハッと目が醒めたら5時。目覚まし無しでも、気が張っているからあまり眠くない。わざわざクラウスが起こしに来てくれて、簡単に身支度を済ませ、早めにケルン中央駅へと向かった。

だがさすがに早く着きすぎた。駅のコーヒーショップも空いていないので、開店まで待って、軽く食事を取った。だが良く考えてみると、まだヨーロッパに来て一度も、自分たちだけで買い物すらしたことがない。ここまでなんだかんだ行ってずーっとクラウスの助けで生きてきたから、大丈夫だろうか?途端に不安になってきた。これからがヨーロッパ旅行本番だ。クラウスもちょっと心配そうな顔をしていたが、不安を振り切って電車へと乗り込む。いざ国際列車、ターレスに乗ってフランスへ!

列車が動き出して、周りを見ても始発ということもあって、客車に乗客は自分らをいれて5人ほど。車窓からの風景は、ケルンを出てすぐは都市の中を走っている感じだったが、だんだんドイツの白壁で、柱が幾何学模様を見せる建物が立ち並び、煙突から暖炉の煙があがっていて、田んぼか畑が広がる風景へと変わってゆく。日本だと、どんなに地方に行っても、近代的な建物が立ち並ぶが、電車から見る風景ではどの町を通っても、古い町並みが保存されているのに驚いた。

走り出して30分くらいすると、片道50ユーロ(6500円くらい?)なのに、朝飯が出てきた。しかも途中ベルギーのブリュッセルに着いたのだが、その後にも更に朝飯が出てきて、上手くすれば2回も飯が食えるこの列車。ターレス最高!日本の新幹線は移動だけで、4時間くらいの移動で1万5千円近くの金を取られていると考えると、なんかバカらしくなってきた。

だが朝飯を食べ終わると、さすがに睡眠不足から睡魔が襲う。ブリュッセルについたくらいは辛うじて覚えていたが、途中フッと目がさめると、一面見渡す限りの平野で、町の中を通ると、目に付く建物もホッソリとして、暖色系の壁の色が目立つようになってきた。周りの客もフランス語を喋っていて、いつのまにかフランスに入ったらしい。
寝ぼけている間に、終点パリ駅に到着。さすがに駅名にパリ、とつくだけあって、電車を下りると10個以上もホームがある大きい駅だ。

早速迎えに来てくれているハズのアレックスを探す。が、見当たらない。インフォメーションでテレフォンカードの買える場所を聞いても、フランス語なまりの強烈な英語でワケわからないし、電話の掛け方もフランス語で表示されるんでもちろんわからない。そこら中に尋ねまくって、なんとかテレフォンカードを手に入れ、アレックスの携帯に電話してみると、見事に留守電。しかも700円分くらいのテレフォンカードなのに、1回電話しただけでもう使えない。去年のシアトルでもそうだったが、空港のテレフォンカードはバッタもんが多い。だが、妹がクレジットカードを持っていたので、フランス語のアナウンスはワケわからないが、あちこちポチポチ押して見たり、カードを通してみたり、15分くらいの試行錯誤の後、なんとかライオネルに電話することが出来た!初めて話すが、すごく落ち着いた感じの人だ。ライオネルにアレックスが迎えにきていない件を話すと、アレックスに連絡しといてくれるとのこと。ちょっとホッとした。

それでちょっと余裕も出てきて、駅で待っている間に知り合った日本人のバックパッカーの人と話していると、しょっちゅう子ずれ、または子供のホームレスが金をせびりに来る。しかも断っても10分後にはまたやってくる。ドイツは一見、日本と同じくらいの治安で、ゴミとかも日本の普通の町を変わらないくらいの様子だったが、フランスはちょっとヤバげなニオイがする。ホームの入り口には、円筒形をした電気ストーブが立ち並んでいて、待っている乗客たちはそこで暖を取っている。このヒーターは日本にも欲しいところだ。ドイツより暖かいとはいえ、やはりヒト桁台の温度。体の芯まで冷え切った頃、もろ地元という感じの軽装で、やっとアレックスが迎えにきてくれた。
「ごめん、ごめん。シャワー浴びてた」と行って、「じゃ、行こうか」とそのバックパッカーの人に別れを告げて、そそくさと駅の外へ。車かな、と思ったら、アレックスの家まで歩いて5分だという。アレックスはライディングもスピーディーだが、歩くのも速い。スタスタ歩いていく。

駅を一歩出ると、街角にはホームレスが目立ち、側溝にはタバコの吸殻、道には犬のウンコがそこらじゅうに散らばっていた。「花の街」パリのイメージは、外にでて20秒と持たなかった。クソの街パリ。吸殻の街パリ。目線を上に向ければそこには素晴らしい建物が立ち並ぶ、歴史を感じさせる街だが、ちょっと目線を落とすと・・・その落差に愕然とする。

アレックスが買い物に行くというので、一緒に近くのスーパーに入って飲み物を買って、いよいよアレックスの家へ。100年近くの歴史があるというアパートの6階に住んでいた。もちろん、築100年ということもあって、エレベーターなんていう文明の利器は備え付けられていない。自らの足で、ひたすら登り、ひたすら下りる。
アレックスいわく、「もう結構長いこと住んでいるから、慣れたよ。」と気にもせず、スタスタと階段を慣れた様子で駆け上がっていく。この建物だけが特別なのではなく、このパリ近郊の町並みは、古くから保存されているものらしい。それゆえ、そういう環境で育ったアレックスのような若い世代も、不便という意識より、それが当たり前と思っている感じだ。その意識が代々受け継がれて、パリの人たちにはこうした古い建物を守っていく、という意識が根付いているんだなと思った。

中に入ると、1LDKで、キッチンの入り口にはキティちゃんの簾がかかり、白で統一された綺麗な部屋だ。アレックスの部屋に入れてもらったが、洋服もキチッと整理されていて、クローゼットや、小物もきっちり片付けられている。かなりの綺麗好きと見た。

リビングにはセンスのいいポスターや、日本でも話題になった「アメリ」という映画のポスターなどが張ってあって、アレックス曰く、「アメリはフランス映画史上最高の映画だ」と言っていた。テレビはアメリカと同じようにケーブルテレビで、アレックスがリモコンを持つと、「あ、ゴメン」といってワザとポルノチャンネルに切り替える。フランスでは10以上もポルノチャンネルがあるらしく、「これがフレンチスタイルだぜぃ」と嬉しそうに10秒に一回ポルノチャンネルに切り替えていた。

アレックスが「とりあえずどうする?観光に行く?」というので、「夜と昼、どっちが綺麗?」と僕が聞くと、「そりゃだんぜん夜だね」というので、有名所の観光は、夜に行くことにした。で昼はアレックスがジムに行く、というので、その間1時間ほど、アレックスの家から10分ほどのオペラハウスら辺をブラブラすることになった。

パリの中心、ということもあって、どこを撮っても「ヨーロッパ」という感じの町並みが見渡す限り続く。さすがに冬ということもあって、オープンカフェの外に座っている人はいなかったが、カフェが所狭しと建ち並び、女の人はバーちゃんから子供まで、とにかくダサイ奴が1人もいないのが不気味なくらいだ。さすがモードの街。

そして誰もがモデルのような、サマになっている歩き方をしているのが凄い。近くに松坂屋とかがあって、そこには観光客の日本人が溜まっている以外は、日本人を見かけることもなかった。

途中、トイレに入りたくなって、地下鉄の駅の入り口にトイレを見つけると、有料。幾ら?と窓口の黒人のバーチャンに聞くと、「ったくどこに目をつけてんだろうねぇ!」と、本当に言っているかどうかわからないが、そういった感じでフランス語でまくしたてながら、窓口の上にある看板を指差している。それをみると、なんとトイレにもランクがあって、吹きっさらしの小便器から、個室、広い個室、みたいな感じで値段が50円から200円程度まで違う。面白そうなので、個室に入ってみると、ただのトイレで、しかも汚い。運良く小便だけだったので、そのまま用を足して出てきたが、腹を壊したらオチオチ外出も出来なさそうだ。

パリの町並みは、どこも同じように見えてしまって、すぐに迷いそうだ。というわけでアレックスのジムの周りをうろちょろして、位置感覚を掴んでから、アレックスに教わった近くのオペラ座まで足を伸ばしてみた。
オペラ座の前にある広場を中心に、道路が放射状に伸びているのだが、その景色が、街灯や石畳、車から建物の雰囲気、空の色までがまるで「ヨーロッパ」という舞台装置の中ににいるような不自然さを感じた。なんか自分がフランスにいる、という現実味が無い。パリのど真ん中のもっともパリらしい、という場所でそんな感じを受けるのもおかしな話だが・・・

30分ほど歩き回って、近くの教会の前にあったベンチで一休みしてから、アレックスとの待ち合わせ場所に戻ると、アレックスがちょうどジムから出てきた。

一緒に家に戻った後、アレックスの家で、フランスで作られたストリートのビデオを見せてもらった。フランスはリアルストリートが盛んのようだ。しかも日本や、アメリカのビデオでは見られないようなキレのあるストリートライディングと、映像の斬新さ、スタイリッシュさに驚いた。さすが芸術の国だけあるのか、Creamにしろ、こうしたビデオにしろ、1味も2味もアメリカや日本のものと違う。どこを切ってもカッコよさが出ている。

ちょっとマッタリしている内に、外も薄暗くなり、アレックスがかわいがっている舎弟が2人やってきた。17歳のラファエルと、16歳のグレゴリーという若手だ。週末ということもあって、アレックスと乗るために、パリから50Kmくらい離れた町からやってきたらしい。

身支度を整えて練習場へと出発。近くの地下鉄の駅へと向かう。アレックスはその練習場にチャリをおいてあるらしく、タオルだけを持って、例のごとくスタスタと歩いていく。2人の舎弟はチャリを持っているので、階段ではヒーヒーいいながらアレックスに付いていっている姿が笑える。駅に着いて、先頭を歩いているアレックスが入り口に向かわず、出口に足を向けた。フランスの地下鉄は、入り口には腰のあたりにバーがあり、顔の前にも板のようなガードもついているし、出口は鉄扉になっていて、中からしか開かない構造になっている。

出口までくると、アレックスは人が出てきたところを見計らって扉を押さえて、平然と入っていく。駅員もいるのに、「おいおいおいおい」と思いながらも、勝手知ったアメリカとは違って、はぐれたらヤバイ!大慌てで3人の後を追って、アレックスに「なんで出口から入るん?」と息を切らせながら聞くと、「フランスは地下鉄はタダなんだって」とニコニコしながら平然と答える。ワルだとは思っていたが、こやつ、相当のワルだ。

それでもって電車に揺られること30分。郊外に出たところで電車を降り、グレゴリーとラファエルの自転車2台に5人が分乗して、いつもアレックスが乗っているという練習場へと向かった。治安的には結構ヤバイところにあるらしいが、アレックスは気にする様子もなく、普段と変わらない様子でスタスタ歩いていく。そしてちょっと街中に入ったところに、大きな建物が見えてきた。

ここは公営体育館らしく、昔はお金を払って乗っていたらしいが、その内、この体育館の管理人と仲良くなって、今ではタダで毎日乗らせてもらえるようになったという。ちゃんとロッカーもあり、ロッカールームにはmyコンポやチャリ、スペアパーツまで置かせてもらっていて、環境は最高だ。練習場所の広さは30平方メーターくらいで、10人くらいまでなら1度に乗れる広さで、路面は滑らかなコンクリート。最高の路面だ。

ウチらが着いた時にはもう他の初心者ライダーたちは入り口で待っており、アレックスが鍵を開けると、みんな早速乗り始めた。途中、Creamマガジンの編集長、アラン・マサボーバも登場して、熱いジャムセッションが繰り広げられた。

中でもラファエルは、アレックスがちょっと前まで乗っていたAresをそのままあげるほどの可愛がりようだけあって、日本のエキスパートと比較してもトップクラスの腕前だ。リア、フロント系の基礎はだいたい網羅しているし、フロントトリックがメインだが、動きもかなりいいし、メイク率も高い。ただ、まだオリジナルムーブが無いので、アレックスが言っていたとおり、「上手いエキスパートライダー」レベルだが、フランス国内で行われている大会のエキスパートクラスでは、向かうところ敵無しらしい。2年後くらいにはKOGや、アメリカの大会にも挑戦したい、と言っていた。

英語はつたないが、明るい奴だ。ただちょっとマセた感じがあったので、17というと誘惑が多い年代だから、いくら上手くても、道を踏み外す危険性はある。順調に伸びて欲しいものだ。

グレゴリーは無口で内向的な感じだ。コンサバティブなトリックでやはりリアもフロントもソツなくこなすが、まだ完成度は高くない。これから、という感じだったが、コツコツ型っぽいので、コツコツくれば、2,3年以内に相当のレベルにまでなるだろう。

アランは去年の大阪KOGで会って以来で、大会の時は自分が忙しく、それほど話せなかったが、今回は色々話すことが出来た。フランスの状況を聞くと、Creamマガジンを作っているアラン、アレックス(ジュメリン)、ジミー(ペティット)のMexcicosと、Soulマガジンを作っているライオネル・カルドソらは住んでいるところも遠いし、お互い違う雑誌をやっていたりするのもあるけれど、ライオネルは考え方がすごくビジネスライクで、ウチらと合わない、と言っていた。お互い嫌っているわけじゃないけれど、距離を置いているね、ということらしい。他のアレクシーとか、ストリートライダーたちはそういう垣根は無いらしいが、どこの国でも複雑な関係があるんだな、と思った。
初心者ライダーズは9時くらいに切り上げた後は、ラファェル、グレゴリー、アレックス、アランのジャムで盛り上がる。その内11時くらいになると、アレックスが「ヤバイ!電車が無くなる!」というので、速攻片付けを始めて、チャリで駅までダッシュ。なんとか終電には間に合った。

アレックスの家に近い地下鉄の駅を出ると、近くに深夜まで営業しているグロッシュリーストアーに立ち寄った。そこで遅い夕飯用にキャベツの塩漬け、マッシュドポテト、ウチらはカマンベールチーズ、パンを買ってアレックスの家へ到着。早速アレックスが自ら料理を始めたのだが、かなり手際がいい。一人暮らし歴は長いようだ。

アレックスの料理が出来る前に、カマンベールチーズでも食べようかなー、と言うと、ラファエルとアレックスが、「カマンベールチーズは食後のデザートでしょ?」と言う。ちょっと不思議に思ったが、そこまでいうなら、後で食べるか、と待つこと20分ほどで用意が出来た。

ウチの自宅で、普段の食卓にあがる料理は7,8品くらいあるが、ドイツやフランスでは2,3品が普通のようだ。ちょっと物足りないが、それぞれ味は美味いので、基本的にあまり食事にこだわらない僕としては、量が食えればそれでOKという感じでガッツリ食べて、さて、カマンベールチーズを食べると、これがとろけるよう。確かにちょっと高めのものを買ったが200円くらいで、しかもデパートでなく街の食料品店で買った普通のカマンベールチーズなのに、かなり美味い。デザート、というのもうなずける美味さだった。ドイツに行ったらソーセージ、とよく言うが、フランスに行ったらカマンベールチーズを食べてみるのを勧める。

食事も終わって、一息ついていると、時計は午前2時を指している。午前6時30分の電車に乗らなければいけないので、2,3時間位しか寝られそうにない。俺らはそろそろ寝る、と言って、仮眠をした。

1月5日。目が覚めたのは5時30分。多少勝手が判ってきたドイツと違って、よく判らないフランス。早めに駅に向かうことにした。グレゴリーを起こして道を聞いて、パリ/ノード駅へと向かった。冬ということもあって、まだ外は真っ暗。パリ駅から、アレックスの家まで5分くらいの道のりだったから、楽勝でしょう、とずんずん歩いていくが、全然駅が見当たらない。15分くらい歩いたところでさすがにヤバイと思って引き返し始めたが、暗い&パニクッて、まわりの風景がどれも同じように見える。完全に迷ってしまった!

どーしよ、どーしよと言っている間に、電車が出る時刻に20分後に迫ってきた。ここで妹が機転を利かせてタクシーを止めた。タクシーのドライバーに「ビッグ トレイン ステーション!ビッグステーション!」と叫んで、駅に着いたのが出発5分前。3年前に(宇野)陽介とカナダからシアトルに行く時にも電車を使おうとして、タクシーがこなくてコリー(ストラティチェック)に無理やりタクシーを掴まえてもらって、滑り込みセーフで駅に着いたことがあったが、どうやら僕は電車に相性が悪いようだ。

なんとか電車に乗り込んで、席につくと、精神的な疲れと睡眠不足から2人ともグッタリ。気が付くと、ケルンとパリの中間地点、ブリュッセルの駅に列車が停車していた。日も高くなり、周りからドイツ語が聞こえ始めた。旅先なのに、何故かドイツ語を聞いてホッとしてきた。

列車がケルン中央駅にゆっくり進入していくと、やっと帰ってきた、という安堵感に包まれる。まだ1週間程しか滞在していないのに、ほとんど我が家に帰ってきた気分だった。ケルンの駅に降りると、クラウスが迎えにきてくれると言っていたはずだったが、姿が見えない。あちこち探し回っている内に、クラウスが僕らを見つけてくれた。「車を止めるのに手間取っていたんだ。驚かせてごめん」と言って、まるで何年も会っていなかったかのように抱き合ってしまった。

クラウスが「今日はどうするの?」というので、何回も足を運んで、いずれも上に登れなかったDomへ再挑戦することにした。この日はちゃんと塔の頂上へ登る階段が空いていて、1人3ユーロほどを払って階段をひたすら登る。日本でもお寺とかでよく見かけるが、壁や彫刻に落書きがひどい。

外から見た大きさから、東京タワーに登る時のような、30分くらい登り続ける大変さを想像していたが、螺旋階段をひたすら登ること5分ほどで、中間地点にDomに備え付けられている巨大な鐘が置いてある部屋にたどり着いた。直径3,4メートル、高さ5メートルくらいの巨大な鐘が真ん中にあり、それを囲むように、少し小ぶりの鐘が10個くらい並んでいる。ちょうどその鐘が鳴り始めたのだが、遠くで聞く時はヨーロッパ情緒が溢れていていいが、あれほどの遠距離でも聞こえる鐘の音を、至近距離で食らうとさすがに腹に響きすぎて下痢しそうだった。

そのまま頂上を目指して更に2,3分ほど登ると、少し開けたところに出た。下を覗くと100メートル近い高さというだけあって、目がくらむ。これほどの高さにもかかわらず、塔の屋根の縁取りや、石垣には精巧な細工が施されており、近代技術が発展している今ならまだしも、600年前にいったいどうやってこの高さまで、こんな精巧な細工を施した脆そうな石を持ち上げたのか不思議でしょうがない。パチパチ写真を撮って、下まで降りたところでちょうど昼飯時。近くのタイ料理ファーストフードに入って、チャーハンらしきものを頼んだ。良く考えたら、ケルンはかなり国際色豊かな町かもしれない。色んな国の店が、そこらじゅうに見ることが出来る。

その後お土産を買いにあっちゃこっちゃ歩き回って、昼過ぎにクラウスの家に帰ってきた。それでキッチンで話していると、僕らが泊まらせてもらっていた部屋の持ち主、Freedomマガジンの編集長、トーマスがスペインの取材から帰ってきた。スペインまで車で行っていたらしい。それでトーマスの部屋から荷物をクラウスの部屋に移動させ、シーツを換えたところで、自分もメチャクチャ疲れが出て、そのまま爆睡してしまった。

気が付いたらもう夕方。妹は僕が寝ている間に、クラウスの家の向いにあるChico Clothingの倉庫で、お土産を貰ってきたらしく、僕もChicoのトレーナーを貰ったり、wethepeopleのロゴが入ったパーカーを貰ったりした。

夜は最終日ということで、クラウスの友達みんなを集めて、近くのアラビアンレストランに行くことになった。日本でもアラビア料理なんて食べたことはなかったが、中に入るとアラビアっぽい音楽がかかって、椅子は無く、地面に座って食べるらしい。

奥にある席に通されると、真中に低い机があって、最初はお茶をみんなで注文したのだが、そのポットの形も曲線が多い、ヨーロッパのものとはまたちょっと違う形をした錫色の、アラビアーンな感じだ。(ベタだが・・・)料理はサラダを中心に頼んでみたが、いかんせん食べ物のイメージが湧かない&ドイツ語メニューなので、みんなに教えてもらって、食べられそうな料理を適当に頼んでみることにした。メインで頼んだのが、ご飯と干した果物を混ぜたもので、ちょっと口には合わず、代わりに野菜不足だったので、サラダを食いまくった。

主食がちょっとハズしてしまったかな、という感じだったが、お菓子類はプリンっぽいのとか、味もかなりイケていた。何よりここでの一大イベントは水パイプだった。高さ30センチくらいの壷に、横から何かの繊維で出来たチューブが出ており、先に木で出来たパイプがついている。その壷の下には水が入っており、上に炭のような直方体のタバコを置いて、火であぶって煙が出ているのをスーッと吸い込むと、水のフィルターを通して、煙がマイルドになる、という仕掛けだ。吸ってみるとタダの煙、という感じで、しかもパイナップルか何か、フルーツの味がする。調子に乗ってスパスパやっていたら、普段、タバコを吸わないので、頭がボーッとしてしまった。

1月6日。最終日。世話になりっぱなしのクラウスに、最後まで世話になって、ケルン空港まで送ってもらった。またしても早く着きすぎたので、カフェで朝飯を取りながらチェックインカウンターが空くのを待つ間、濃密な時間を過ごした充実感と、疲労感でただただ無口になっていた。

 30分ほど待って、カウンターが開き始めた。そこで飛行機の搭乗券を受け取ろうとすると、KLM空港でアムステルダム経由の成田というルートだったのだが、アムステルダム空港が雪で閉鎖されているらしい。それでフランクフルト経由で、ルフトハンザ空港に振り替えてもらうことになった。いよいよクラウスとの別れだ。やっぱり寂しそうな顔をするクラウスに、また会えるさ、と笑顔で別れを告げて、飛行機はフランクフルトへと飛び立った。

 だがまだ波乱が残っていた。フランクフルトに降り立って、出口にある乗り換え情報が表示されているモニターを見ると、なんと既に次の飛行機の搭乗が始まっている!飛行機を振り替えてもらった関係で、フランクフルトでメチャメチャ乗り換えがタイトになってしまったらしい。

ダッシュで窓口へと走り、真冬のドイツで汗だくになりながら搭乗になんとか間に合った。が、成田で荷物が出てこない!結局、乗り換えがキツすぎて、妹の荷物は載せてもらえたが、自分の荷物は間に合わなかったのだ。しかも荷物が無いのを色んなところに聞きに言って、汗だくになっているのを怪しまれたのか、普段は税関も素通りの所を、この時はたまたま空けられて、おみやげのソーセージが没収されてしまった。くだんの狂牛病騒ぎによるものらしく、ヨーロッパからの肉製品はいずれも個人レベルでは日本に持ち込めなくなってしまっているらしい。ま、数百円の品物だったので、ワインが没収されるよりマシだったが。

 今回の旅を振り返ると、間違いなく楽しかったが、やり残したことも多かった。フランスにも1週間くらいいて、もっと色んなところを回りたかったし、ドイツで知り合った人たちとも、もう少し深い話がしたかった。この旅で自分がこの先、何をやっていくのかを見つけようと思っていて、結局判らないままだったが、フト考えると、こうして旅を続けることが自分のやりたいことなのかもしれない、と思うようになった。

あっちこっちに行く、というより、1箇所にある程度長期に渡って生活して、それからまた別の場所に移る、という感じが自分には合っているし、唯一、前進した、と言えるのは、ビビりが無くなった、ということだろうか。やろう、と思ったら前に進める勇気が出てきた。今度は7月に同じくドイツ、ケルンで行われる世界選手権に行ってみようと思う。そこでまた新しい発見がある気がする。アメリカの前へ、前へ、というエネルギーもいいけれど、ヨーロッパの長い伝統に支えられた生活、ゆっくりした時間もいいものだな、と思った今回の旅でした。

Green-G