●原真一郎インタビュー (2001, ドイツ Freedom BMX)
同じく2001年に、ドイツのFreedom BMX誌に載せた原君のインタビュー。この頃はまだCreamとはつながりが無く、存在は知っていたがメインフォトグラファーManu Sanzの撮る素晴らしい写真にただただため息をついて、「こんな雑誌に写真や記事を載せられたらなぁ」と夢見ていた。
この原君の記事はヤンマーインタビューの後に買ったばかりの慣れない一眼レフを使って初めて送った記事だった。当時原君が練習していた立川に一緒に行き、そこで撮影を行った。当時は原君と一緒にたくさんの遠征をしていた時期で、一回富山まで下道12時間というのをやったこともあった。原君が11時間一人で運転して、自分は最後の1時間だけを運転するだけだったが・・・。ドライブ好きの原君との旅で、自転車+旅、旅の楽しさというものに気づけたと思う。
名前、ライディング歴、スポンサーとか教えて。
原真一郎、昭和51年5月12日生まれ。ライディング歴9年。スポンサーはKHE,KK Triangle, Odyssey, Rhodes Products, K2 shoes, Ground Cross.
なんで「ロカ」ちゃんってあだ名がついたの?
高校時代、ずっと髪をリーゼントにしていて、それを見た航空公園の先輩ライダー(緒方さんたち)からロカビリーって呼ばれ始めたのがキッカケ。
メッキの自転車を乗り継いでいるけれど、その理由を教えて。
正直いうと、BMXを始めたばかりの頃は、ほとんどメッキの自転車ばかりで、たまたま自分が最初に買ったMongooseのvillainもメッキだった。その頃はBMXを手に入れたことが嬉しくて仕方なくて、毎日練習から帰ると、ひたすらメッキが鏡のようになるまで磨きまくっていた。その内メッキの、映るものによって色が変わることに惹かれていった。天気のいい日には青い空が映り、その日に着ている服の色によっても、毎回様々な色を映し出すメッキの「見ていて飽きない」魅力にとりつかれた。
時代とともに、メッキのフレームも目にすることが少なくなり、みんな色が塗装されているフレームを乗るようになってきた。今ではメッキのフレームは入手困難でさえあるが、そのおかげで「ほとんど誰も乗っていない」色のフレームになった、ということがまた最高に気に入っている。ある意味、一番目立つフレームだと思っている。
スプロケに貼っているカッティングシートとか、手先が器用みたいだけれど、他にもなんかそういった「特技」はある?
自分が今使っている、スプロケットに貼ってあるメッキ風のカッティングとか、車の中に貼ったRhodesのロゴなんかは、ただ雨が降ったとか、なんらかの事情で練習が出来なかった時に作ったもの。昔、Homeless Soulbroのステッカーを、本物そっくりに自分で描いたのは、学生時代、授業中にやった。特技といえるかどうか分からないけれど、そういった、本物そっくりに描くことや、パーツなんかの見た目が好みでなかった時に、自分で手を加えて「お気に入りのパーツ」にするのが好きだ。最近乗れない時は、アクリルのビーズでアクセサリーを作ったりするのも楽しい。今、耳にしているピアスは、アクリルの素材を買ってきて、1/2 インチ(直径約12~13mm)の大きさに削りだして作った。
性格的には結構シャイなのに、Dubに行ったときとか、トゲトゲの、パンクロッカーがつけるようなブレスレットに目がいったりしていて、好みはハードコアパンクっぽいけれど、洋服はどういうのを選ぶの?
洋服については、ハッキリ言ってただ自分の好きなものを着ているだけ。後は大前提として、ライディングし易いものを選んでいる。昔から、流行のファッションにはあまり興味がなかった。音楽の好みからか、確かにパンクっぽいファッションや、そういうノリの人は好きだけれど、それをそのままの「○○系」というのではなく、自分は自分の個性を表に出せていればいいと思う。周りからどう思われようが、何を言われようが、「自分はこうだ!」というものにこだわって行きたい。あえて言うとすれば、洋服やアクセサリーについては、少しカワイくて、少し悪そうで、そんな微妙なイメージのものが好きかな。
96年にBSに出たけれど、なぜBSに出ようと思ったの?
今でこそ、日本のフラットランドシーンは、世界的に見てもトップレベルだけれど、当時の日本の状況だと、国内でどんなに活躍しても世界の域には通用しないと思った。自分が理想の世界レベルのライダーと思っていた、Edger (Placensia)やDay(Smith)のライディングに感じた、「力強さ」を身に付けるため、彼らと同じ大会に出て、早く追いつかなくては、と思っていた。
BS、海外の大会で目指す目的はなに?
自分の近い将来、今世界最高峰の大会であるX-Gamesに出られるようになるかもしれない、という可能性が一番大きいかな。ライダーとしては、自分のスタイルを進化させつづけることが究極の目標で、X-Gamesが通過点の1つに過ぎないってことはわかっているけれど。2年前に1ヵ月半くらいアメリカに滞在した時に、同じクラスに出たライダーから自分のルーティーンを誉められたり、Jason Brownのビデオに出られたし、CFBでも順位だけ見る限りでは、ビデオで見るような有名なライダーが何人も自分の下にいたりして、自分が少しづつでも上達していると実感出来る。CFBやBSに何回もチャレンジして、多少ムキになっているようだけれど、行く度に自分の可能性が見つけられる。以前はX-Games、世界選手権ともに、自分の手に届くところになかった。でも何回も行っているウチに、レベルの違いは多少あるとはいえ、自分も他の海外からのライダーも、「同じライダーじゃないか」ということに気づき始め、徐々にX-Gamesにしろ、世界選手権にしろ、以前より自分と世界との距離が縮まってきている気がする。
それから大事なのは、人との出会い。アメリカでも、ヨーロッパでも、とにかくみんな親切にしてくれたことが印象深い。言葉が通じるとか通じないとか、そういう次元の問題でなくて、お互いライダーだというだけで初対面でも、泊まる場所がなくて途方にくれていた時に、「ウチに泊まりにこいよ」と言われた時の感動は実際、体験してみないとわからないはずだ。
そういう、人との出会いを広げたい、というのも目指すもののウチの1つだ。後は、日本だけではなく、世界中でどのライダーがどんなトリックをしているかを知るのも自分にとっては上手くなろうとする上で、欠かせないことだ。世界中に友達を作ることと、自分のトリックをひたすら進化させて、世界的に認められるようなライダーになりたいね。
プロになろう、と思ったキッカケってある?
ずいぶん前からプロライダーとして生活していくために努力していた(伊東)高志君を見て、自分も本当のプロライダーになりたい、と思った。以前は、大会にエントリーするクラスがプロクラスであれば、あるいはスポンサーがついていれば、プロなのかと思っていた。自分が大会にプロクラスでエントリーするようになり、その頃から雑誌とかに載る度に「プロ」という肩書きをつけられていた。月日が経つにつれ、次第に疑問に感じ始めた。それまでは働くのが当たり前で、仕事とBMXは別にしておきたい、と思っていたけれど、高志君や(岡村)アキラがプロライダーとして生活しているのを見て、自分が好きなことでお金を稼ぐことが出来れば、そんなに幸せなことはないと思い始め、去年に仕事を辞めた。仕事をしている限り、毎月それなりの収入があり、安定した生活は出来る。だけどその代わり、プロになりたいと思っても、目先の小金があるからそこまで必死にプロライダーになるための努力をしていなかった。
どうやってKKトライアングルのスポンサーがついたの?
1999年の1月に、新大阪でトニーやヤンマーが強化合宿するというので、自分は名古屋のデラウマに行った後、そのまま新大阪に向かった。1月3日から約1週間車の中で生活し、毎晩新大阪で夜中の3時くらいまで練習した。その時見た巽君のライディングが衝撃的で、それから自分の練習を見つめなおした。それまではそれなりに頑張っていたつもりだったけれど、全然努力が甘かったことに気づいた。合宿が終わって久々に地元に帰ってきてからは、ひたすら乗りまくった。ちょうどその頃トマホーク系のスタイルが確立されてきて、1999年のKOG第一戦では過去最高の4位に入ることが出来て、その約1週間後にあった福岡のファンライドコンテストでも2位になれた。そんな時、以前KHEのスポンサーをもらっていた(宇野)陽介から電話があり、自分の大会での活躍が認められて、KHEのスポンサー自分に紹介してくれた。以前からKHEのフレームが好きで、2本くらい自分の金で買っていたから、それは本当に願ってもないチャンスだった。
僕は、プロ、っていうのは、乗るのが好きだけではなく、他のライダーに対して「影響力」を持つことがプロの条件だと考えているけれど、自分の中でだけでなく、他人に向けて、ライディングで表現しようとしているコンセプト、追求しているものってある?原君の考える「プロの定義」って何?
ライディングをすることでお金を稼ぐことが出来れば、それは間違いなく「プロ」だと思う。後は自分がライディングすることで、見る側の人間に、「自分もやりたい」って思われるようになることも必要。メジャーにするために雑誌にも載り、各地のイベント、ショーにも出演する。BMX業界のなかだけで宣伝していても、メジャーにはならない。大会に出て、いい成績を収めることも大事だけれど、BMXそのものを、野球やサッカーと同じくらい世の中に浸透させるための活躍をしているライダーこそ、「本当のプロライダー」だと思う。
それと自分が気をつけている具体的なこととして、人と比べて自分の方が技術的に上と思っても、絶対にそれを口や態度に出さないこと。常に謙虚な姿勢でいたいと思う。上手さを「鼻にかけた」ライダーを見ると、とてももったいないと思う。すごくカッコいいライディングをしているのに、その自信を変に口や態度で表に出すことで、そのカッコよさを曇らせている気がする。時々始めて間もないライダーと話す機会があるが、そんな時「先日プロライダーの○○君に会ったけれど、あまり感じがよくなかった。」とか、「技を聞いても丁寧に教えてくれなかった」とか、そういったことを耳にして、自分はそうはなりたくないと思った。自分ももしかしたら無意識のうちに、そういった態度を取ったりしたこともあったかもしれない。でも、航空公園の中でいつも練習している場所に向かう途中に、初めて見かけたライダーがいれば、できるだけ話し掛けて、「一緒に練習しましょう」という感じに誘ったりはしている。相手にどう思われるかは別として。
原君は、ベーシックのトリックで、出来ないトリックはある?以前、フロントのグライド系に取り組んでいたみたいだけれど、最近はやらないね。前聞いた時に、「やろうと思ったら、出来るから、特にやる気にならなければやる必要がないと思える。」とも言っていたよね。他のプロからもそういう言葉を聞くけれど、その確信はどこからくるのだろう?そう思えるようになったキッカケってある?
自分がBMXを乗り始めた頃は、いつも見ていたビデオが101Tricksとか、BullyのSlow Rideとかだったから、技がオールドスクールばかりだった。しかも自分が練習している技がオールドとは知らずに。だから基礎となるところは一通りやった。でもオールドやベーシックなトリックでも苦手なものもあるし、今でも出来ない技もある。オールドから抜け出して、大会に出るようになってから、ニュースクールの技を練習するようになった。Expertへ上がり、2~3年経ったあたりでメイク率は別として、フロント、リアともに技数が増え、多くのコンボを組めるようになった。その頃から昔ほど1つの技を練習し始めてから、メイクできるようになるまで時間がかからなくなった。昔、Hang5とWhiplashが出来るまで3年掛かったが、それを(川村)翼は15分でメイクさせたと聞いて、落ち込んだのを覚えている。1つの技をモノにするのにそれほど時間がかからなくなったのは、他の技も増えて、応用が利くようになったからだ、と思い、メイク率を上げたいからといって、そればかりやっていても、なかなか上達するものではないということに気が付いた。Hang5とWhiplashは、練習している最中に、「もう自分には出来ないのかもしれない」、って思うときもあった。でも「やっぱりみんなが出来るのに、自分だけ出来ないのは悔しい。あきらめずに頑張ろう」と思って必死に練習した。そしてある日突然メイクできた。3年掛かったけれど、自分にも出来た。その時、練習して出来ないものは何もないということを感じた。出来ないんじゃなくて、ただ単にそれは努力をしていないだけだ、ということにも気づいた。最近では技数を増やすことよりも、ライディングにおける、自分の個性を追求している。影をみただけで誰だかわかるくらいの。
原君のライディングスタイルについて教えて。
自分のライディングのコンセプトとしては、昔から回転系のトリックが好きで、フレームを回したり、自分が回ったりするトリックを追求してきた。後は技と技のつなぎはとにかく素早く。アレックス(ジャムリン)も技が素早く、技数も多いけれども、1つのルーティーンの中に色々な系統、バックワーズにフォワードのスカッフ、流し系や、スピン系が入っていて、ルーティーン1つが長く見える。自分は何か1つ、得意なトリックがみつかったら、それを基本に同じ系統の技を何種類も練習する。同じ系統でも自分なりにアレンジして人と違うつなぎかたを求める。同じ系統のトリックだと、技数を増やして、素早く技をつないでも、技と技の繋ぎ目が滑らかになり、技の展開がより早くできる。トリック、ルーティーンがオリジナルであることに越したことはないけれど、そうでなくても、あまり人がやらないところに目をつけて、やりたいトリックを見つけるようにしている。
それと見ている人の予想を裏切れるようなルーティーンを意識している。ケリー(ガット)がBaco9で見せていたウイップラッシュの連続Gターンが、自分の目指していた「ここでフィニッシュだな」と予想がつけられないルーティーンのイメージに凄く近くて、その後かなり落ち込んだ。
総合的に見ると、昔より、キツイ(ハード)な技よりも、やっていて気持ちがいい技を追求するようになった。やっていて気持ちいい技を、どれだけおしゃれに、スタイリッシュに見せられるかということを意識した練習をしている。
福岡に行くときに、「自分は不器用だから、なにをやるにも人の何倍も時間がかかる」って言っていたけれど、どういう時に、それを意識する?そしてどうやってそれを克服している?
さっきのHang 5とWhiplashがいい例だけれど、やっぱり本当に自分がやりたいと思うことや、興味があることならあきらめずに続ける。例え何年掛かろうが。逆に興味がないことは全くといっていいほど関心がない。仮に何か始めたとしても、特に興味がなければ、満足に出来なくても、すぐに投げ出すかも。
一対一で話すなら問題なく出来るけれど、人が沢山話している中に入るのが難しい、さっきまで一対一で話していた人間がその中にいても、別人のように見えるから、って言っていたけれど、原君がたまに孤立してみえる理由は、その原君が感じている「違和感」で、その輪に入れない、っていうことが、周りの人も逆に原君に対して同じことを感じていることから来ている気もする。それについてはどう考えている?そしてどうしたい?
自分は思い込みが激しいので、一度マイナス思考になると気分転換がなかなか上手くできずに苦しむことがある。昔から大勢でかたまっているよりも、少人数で行動するほうが好きだったこともあり、時々みんなが大勢で盛り上がっているとき、後からその場に入ろうにも、自分の居場所が見つけられずに楽しめないことが多い。でも時々どこに理由があるのか自分でもわからないけれど、忘れられない思い出になるくらい、大勢で楽しい時間を過ごせたこともある。1つ思うのは、自分は何かやりたいことがあると、それだけに向かって突っ走る所があるから、その自分が思う、「こうしたい」っていう事と、みんながその時やりたがっていることが一致したときにとても楽しい時間をすごせているんだと思う。それが一致しない時に自分の居場所を見失う。これからの自分にはその状況ごとに、もっと臨機応変に対処出来るようになることが必要と感じている。
自転車を始めた時から変わらないもの、変わったものって何?
自分自身、BMXに乗り始めた頃から基本的に変わっていない気がする。成長していないともいえるかもしれない。むしろ変わりたくない。何年乗っていようが、いつでも始めた時の純粋な気持ちでいたい。変わったことといえば、BMXを趣味から仕事にしてやろう、と思った事くらい。
この間、雑誌に記事を書いていたけれど、どういったキッカケで文章を書くようになったの?これから書いていきたいこと、自転車に限らず、ある?
仕事を辞めて、毎日ひたすらライディングの日々が続き、アメリカへも行ったりして、当然、金が減る一方で貯金も底をついてきた。そんな時、以前みたいに広告などでやみくもにバイトを探すのではなく、せっかくBMXの方で人脈があるのだから、それを利用して仕事を探そうと思った。そんな時、モトさん(フォトグラファーの山中 基嘉)が紹介してくれたのはバイクラの新谷さんからの仕事で、自分にとって文章を書くという初めての仕事だった。これからもバイトはそういう方面で見つけたい。もともと文章を読んだり書いたりするのが好きだったので、書き始めると意外にスラスラと書けた。これから何かを書くことになっても、多分BMXに関わることだけだと思う。少なくともしばらくの間は。
航空公園で、警備員とバトりながら乗り続けているみたいだけれど、乗るところには苦労しているね。雨の日とか乗るところは無いの?そういう時は何をしているの?
夜の航空公園駅については、5年くらいずっと毎晩通っていたけれど、年々駅員の取り締まりが厳しくなり、日増しに嫌がらせがエスカレートしていった。始めはタダの注意だったのが、通報されるようになり、照明を消され、一面に水を撒かれ、放送で通行人に通報するように呼びかけられて、最後には自分達の写真を撮るようになった。その時の駅員が見せた勝ち誇った顔。自分の怒りは頂点に達した。むかついたとか、頭にきたとか、そういうボキャブラリーでは表現できなかった。刺してやろうかとおもった。自分達が使っていたスペースはシャッターが閉まった後には全く無用のスペースで、通り道になっているわけでもなく、通行人との接触などないのに「邪魔だ」ということをいつも言われた。要は自分達の見た目が気に入らなかったのだろう。自分を始め、地元のライダー数名は練習場所が見つかると殆ど毎日そこに通うから、そこに警備員などがいる場合、状況が厳しくなることが早いんだと思う。そんな時、ちょうど今年の初めくらいだったか、鬼塚君から電話があり、告訴されたらどう考えても自分達に勝ち目はないし、BMXの業界全体にもイメージが悪くなり、迷惑がかかるから、夜の航空に行くのはやめにしよう、と話した。航空は昼間、公園の中だけにしよう、ということになった。確かに、本当に悔しいけれど、やっぱり自分達は練習するのが目的であって、駅員ともめるために行っている訳ではないから、練習場所を所沢の駐車場へと変えた。ところがそこでも警備会社に目をつけられて、結局練習場所2つが立て続けにつぶれた。昼間はどこでも乗る場所があるのだが、夜になると乗れる場所がなくなる。最近では立川が夜でも雨でも乗れるので、毎晩立川に通う生活になっている。
最近、原君の周りには若手ライダーは出てきている?
たくさんいる。特に今注目しているのは、航空に毎週通ってくる小学生たち。去年の秋に航空のフェスティバルが終わったぐらいから来始めた。フェスティバルでの自分達のショーを見て、始めようと思ったらしく、最近は技数も増えてきて、少し教えるとすぐ出来てしまう。多分来年くらい、中学生になるくらいには大会にも出られるようになるんじゃないかな。
今は自転車を乗っていられるけれども、年を取ったら乗れなくなる。乗れなくなったら、何をしていこうと思っている?
自分は何歳になろうと乗りたければ乗るつもりだけれど、もし、本当に体が壊れて、まともにBMXに乗れなくなったら、今度は自分がサポートする側になりたいと思う。頑張っているライダーのためならどんどん応援していきたいという気持ちがある。
今の時点では、始めて間もないけれど、上手くなろうと必死に努力しているのが感じられるライダーや、実際、伸び盛りで、目覚しいスピードで成長しているライダーがいて、学生とか、金銭的にパーツが壊れても買えない場合に、自分が昔使っていたパーツで使えるものがあれば、可能な限り譲ったりしている。自分もずいぶん前に、パーツが壊れて困った時に、先輩のライダーからパーツを譲り受けたりして助けてもらったので、今度は自分が面倒を見る側にならなくてはと思った。将来ショップを経営したいとか、具体的な目標は定まっていない。ただ、いずれかの形でBMXに携わる仕事をして、現役ライダーの力になれる人になりたい、ということは決めている。
ショーや大会でライディングでお金を稼ぐことが、ライディングに影響を与えることはある?原君にとっての「お金」と「ライディング」の関係を教えて。
影響をあたえない、といったらウソになるけれど、ライディングしているときは出来るだけ金のことは頭から追い出すようにしている。確かに金を稼いでいい生活をしたい、という気持ちはあるけれど、金を稼ぐことはいいライディングが出来たときについてくる付録みたいなもので、あくまでもライディング第一と考えている。
大会での目先の順位やポイント、または賞金が出る大会まどでいい成績を残すことばかり考えて、いいライディングをすることを忘れている時は、ライディングが「硬く」なってくる気がする。言い方を変えれば自分のライディングの半分も出し切れていない、というか。プロとしては矛盾している気もするけれど、自然体で、マイペースにやっていきたい。