●羽野昌二インタビュー (Theme magazine)
NYから出版されているアジアン・カルチャーマガジン、 Theme magzine (Tower Records 7F,ラフォーレ原宿 5F洋書売り場にて入手可能)に掲載予定だったインプロビゼイション(即興)ドラマー、羽野昌二さんのインタビューです。分野は音楽とチャリで違えど、心に響くものがあります。
僕も写真を撮っているけれど、人の言うことに引きづられたり、引きづられまい、って思って疲れたりします。
とにかくやりとおすことだよ。人がとやかくいおうが。ミュージシャンが一旦ステージに立ったら、そのステージはその人に任されているわけだから。「俺は今日は音が出せない」と思ったらやめればいいんだよ。でもそれが出来ない。多くのミュージシャンがそう。俺らはフリージャズっていうのをやっているけれど、ぶっちゃけ誰でもできる。決まりはない。でも決まりは無いけれど、やりかたはある。でも本当は誰でもできる。でも大切なのは、ステージに立った時に、どこまで緊張できているか、どこまで関係が出来ているか、どこまで空間を把握できているか。そういうことなんだよね。その空間の中で「今ここへいかれたらこまる」ってことがたくさんあるんだよ。でも不感症の人はそれを平気でやるんだよ。「なんでもいい」から。やっぱり何でもいいってわけじゃないんだよね。ソロでやってもどういうカタチでやっても空間があるわけで、それをどう感じ取れるか。それを読み取れる人ならいいけれど、たいがいそれを感じられない。少なくともステージに立ってやるなら、他のステージに立っている人の何十倍も敏感でいなくちゃ。音を出す必要は無いんだよね。一杯叩きたくて叩いてるわけじゃなくて、減らしたいんだけれど必要だから音を出しているんだけれど、ヘタクソだから音を減らせないんだよ。自分の課題がやっぱあってさ、リズムってそれには意味があって、タンタカタンタカってリズムを繰り返して、それがリズムじゃないんだよ。不規則な音の羅列のように聞こえても、それは大きな流れの中でのリズムなんだよ。それは呼吸であったり空気であったり、風であったり。
ずっと海外でツアーしていて、最近は海外ツアーにこだわらない理由はなんですか?
海外で色々やって、どこでやってもいっしょだって思った。色々な場所で色々な人たちが聞くけれども、色んな人とやりたかったし。今は色々違うところに差し掛かってきていて、リズムも変わってきていて、ドラム自体も変われるはずなんだよね。今までにあるドラムでいままで自分がやってきたこと自体も覆したいんだよね。人間っていうのは今まで培った音がどんどん出てくる。でも意識的に音を出したものは音が死んじゃうからね。だから意識的にそれを排除することをいかに無意識に行うかだよね。脳味噌の中に3つ4つの違うテンションを作り出すっていうことが出来たらそれが可能だと思う。今やっている自分がそこにいて、もっとそれを変えられるはずだ、って思う自分も同時に存在して、更にそれをどう今演奏している自分から変えていけるか、って。でもその3つのテンションを「意識」している段階でもうダメで、そういうんじゃないんだよ。今出してる音は過去の積み重ねから出てきてる音で、つまらないんだよ。そこから先に行きたいんだよ。でもいかんせん自分の音は自分が「やってきた」音だからね。そこをどう変えられるかが俺の課題なんだよ。
すごい!っていわれたりするけれど、どうでもいいんだよ。俺は30年間やってんだよ、やれて当たり前なの。そんなことはどうでもいい。自分がビックリする音が出るかどうか。それなんだよ。そこは自然がどうかとか、流れがどうかとかじゃないんだよ。全身全霊を賭けた、自分との戦いなんだよ。生きてる間にどこまで出来るか。出だしはジャズで、19の終わりくらいからやりだして、でもジャズって言われて、日本人は出来ないんだよ。アフリカンアメリカンの粘り腰な音は出ないんだよ。
気持ちのいい音。
いい音とか気持ちのいい音って人によって違うんだよね。最近の若い人はノイズとか聞くでしょ?それって俺にとってはうるさいんだよね。俺とかノイズとか出せないんだよね。どう叩いたって。それって音の出だしが重要なんだけれど、音の出だしのポイントが遅い音は俺にとってはうるさいって感じる。でも音の出だしが早い音は、スッと前いっちゃうから感覚に残っていかない。遅い音は押さえつけられたようになる。そういうので言ったら俺は古い人間なのかもしれないけれど。新しい世代の人はそれを求めていないのかもしれないけれど。俺は人の求めるものをやろうとは生きてるわけじゃないから。自分がどこまで極められて、どこまで探れるかって生きているだけだから。それはいわゆる自我に固執して自我の中に生きるってワケじゃない。生きて、魂があるってことはみんな同じで。生まれた瞬間はみんなおんなじで。俺たちがなんでここに存在して生きているのか。生きて死ぬんだろうか。ワザワザなんで死ぬために生きてるのか。多分俺は魂自体が発信して、つながろうとしたらつながれると思う。でもサボってるけれどね。トレーニングやらなきゃいけないんだけれど(笑)人間ってラクな方を選ぶからね。また苦しい思いしたら思い直すかもしれないけれど。だから人間なんてロクでもないんだよ。たいしたもんじゃない。
自分たちが何かできると思っちゃだめだよ。どれだけ自分が何もできないのか、って知ったら、そっから何かが始まる。人よりドラムは叩けるかもしれないけれど、それだけの話だよ。俺の中ではできないことがたくさんあって。今日撮影で叩いたときもくやしさがたくさんあって。「なんでこんなリズムになってるんだろう」とか。こっちに行きたいのに(笑)で、それを変えようとして、どうしようかなぁ、あれまた違うなって。出た音はしょうがないけれど。
さっきも言ったけれどコピーは20代30代までで、それははるか昔のことで、己の音はどこへいくか、っていうのが俺にとってのジャズだし、でもそれがジャズかどうか分からない。言葉がそうなっているだけで。
ビートをはずしたい。でもクラシックのようにはしたくない。でもインプロビゼイションのようにもしたくない。今日やったようにしたい。俺はドラムの概念を変えたい。今までに誰もやったことが無いことがやりたい。かなり近いんだけれど、もっといけると思っている。死ぬまでにできるかわからないけれど。一生わからないけれど。それに近いもの、これじゃないか、あれじゃないか、っていうのはある。
同時に3つの音を微妙に違うタイミングで出せたらいいんだよね。スネアとハイハットとバスドラのタイミングを、それぞれに3つ意識が確実にいって、全部違うようにしたい。練習して「組み立てた」ものじゃなくて。一瞬のコントロールの中で同時に変えられるようになりたい。俺は可能だと思う。でもやっぱり1つの方に意識が行ってしまう。聞いてる人は誰もわからないと思うけれど。