SENN Project Japanese: Circle Of Balance 2002

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2006年06月24日

●Circle Of Balance 2002

初めてのサークル・オブ・バランスにジャッジとして招待された時の旅行記です。世界最大・最高レベルの伝説のフラットランドコンテストをこの目にすることが出来、本当にいまだにあの時の感動が忘れられません。近いうちにまたどこかで開催されるのでは、というウワサがありますが、2004年のヤンマーが優勝した時にはいけなかったので、今度こそは絶対行きたいですね。

 去年の秋、Wethepeopleのクラウスからメールが来た。「来年、レッドブルが主催で、お城を借り切って、フラットランドだけのコンテストが行われるかもしれない。」そんな夢のような話、実際ありえないっしょ、と思っていたが、今年の夏、またクラウスからメールが来た。「例の話、現実になった。ドイツのオーバーハウゼンで、世界から18人のトップライダーだけが招待されて、500人だけが見れるコンテストになる。」しかも、自分を5人のジャッジの内の1人に推してくれるという。日本からは宇野陽介、伊東高志の2人が選ばれ、その日はやってきた。

成田空港でみんなと待ち合わせて、飛行機に乗り込もうとしたら、キップの名前が違う。その確認に手間取って、ちょっと波乱を思わせるスタートとなったが、夜の10時に成田を経ち、経由地のフランス、シャルル・ド・ゴール空港に到着したのは現地時間の朝4時。人気の無い空港で早い朝飯を食べて、そこからドイツのデュッセルドルフまで1時間のフライト。空港に着いても迎えの人が来ていない。しばらくして迎えが来て、車に揺られること1時間ほど。朝の10時くらいに、ドルトムントの近くにあるバロップという小さな街に着いた。小さいが高級そうなホテルで、「ラインホーフ」という名前だ。どうやら自分らが一番最初に到着したらしい。

ロビーに入ると、今回の主催者、レッドブルの責任者である、ドイツ人のアンディ・ツァイスと、世界戦以来の再会。彼は世界戦のMCも務めたりと、BMXに情熱を注いでいる1人だ。少し話をした後、この日しか自由時間がない、ということで、陽介、高志と街にでて撮影をするために、ドルトムントのダウンタウンに行くことにした。
ホテルのシェフがちょうど買い物に出るから、と乗せてもらって、ホテルでここはどうかな?と薦められた石炭の採掘跡に行ってみた。しかし中で撮影は許可できない、ということで、そこからそのままSバーン(路面電車)に乗って街の中心まで出た。

街中の寺院や、オシャレな銀行などの前で高志、陽介の撮影をして、夕方にレセプションパーティがある、というので早めに帰ることにした。帰りは地下鉄のUバーンを使ったのだが、乗った電車がいきなり線路の途中でストップした。しばらくすると運転手が出てきて、「寝てたんだろ!」と逆ギレされてしまった。だが無事逆方向に運転し始めて、Sバーンへと乗り継ぎ、降りるはずの駅を通り過ぎてしまったりもしたけれど、なんとか無事、ホテルにたどり着くことが出来た。

夜はホテルの食堂でレセプションパーティが行われ、そこで今回のコンテストの対戦カード抽選会が行われた。このコンテストはトーナメント制で、最初は3人1グループになる。ビッキー、マーティと当たるライダーにはみんなが「あー」とか言ったりして、かなり盛り上がった。高志はフィル・ドラン、アレックス・ジュメリン組になり、まいった、という顔をしていた。陽介は、チームメイト、サイモン・オブライエンとフランスの伊達男、ジミー・ペティットの組になり、さあ勝負、といった感じ。

その後チャド・ジョンソンの新作ビデオのプレミア上映があり、そこで陽介が持ってきたSleepWalkerも飛び入りで上映してもらった。光太郎が超長いコンボを最後の最後でミスる&乾杯シーンはかなりバカ受けしていた。後でみんなに反応を聞きに行くと、マーティ(クォッパ)や、マイケル・ソマー、Cream Magazineのフォトグラファー、マニュ・サンツ等は「凄くよかった。Artの匂いがするビデオだね」と言ってくれていたが、それ以外のライダーはあまり判ってない風だった。

ヨーロッパのライダーは、ライディングスタイルがスタイリッシュなライダーが多いにもかかわらず、話を聞くと、結構トリック、コンボそれ自体のオリジナリティにこだわりすぎていて、ライダー、ジャッジも結構、技術志向に走っている感じもした。逆にヨーロッパの人にとってはArtっていうのが体に染み付いているから、自然にそういうものは染み出してくるもので、意識するものではないのかもしれないけれど・・・

その日は飛行機であまり寝れなかったのに、撮影に行ったり、なんだかんだオーバーペースだったこともあって、ドッと疲れが出て、ベッドに入ってすぐに爆睡してしまった。

次の日は大会前日、ということで、昼頃からみんなで車に分乗して、会場のオーバーハウゼンまで向かった。滞在地のドルトムントからアウトバーンを走ること1時間ほど。左側に巨大な円筒形の塔が見えてきた。周囲に高い建物が何も無いことも手伝って、遠くから見ていると大きいのか小さいのかの感覚が狂う。近くに来て見上げてみて、その巨大さにみんなビビっていた。パイプや足場に覆われたこのガスタンクは、1920年代に建てられ、当時、周辺にあった工場へ供給するために動いていたらしい。第2次世界大戦の時に周囲の工場は全て破壊され、このガスタンクが残った、というのだが、爆撃がそれるにはあまりにもデカすぎて、なんでこれだけ打ち損じたのかなぁ、と不思議に思う。

風がビュービュー吹いていて、死ぬほど寒いので、とにかく中に入ってみると、冬にクラウスに連れてきてもらったときの博物館のイメージがあったので、相当驚いた。赤や青のライトアップがされて、黒いカーテンで仕切られた会場には、ライダーの待合室があり、飲み物、果物が用意され、ソファーやレストランまである。ライディングする舞台が建物の中央にステージが配置され、真中に巨大なサークル・オブ・バランスのロゴがここが大会の会場だ、ということを示しているだけで、周囲にはカクテル光線用の照明塔が8個ほど立てられ、レッドブルのマークをあしらったDJブースがあり、まるでロックコンサートの会場のようだ。

後で総責任者のアンディに聞いたところ、18人だけ出場する、フラットランドだけのコンテストにも関わらず、会場設営、賞金等の諸経費込みで1億近い資金が投入されているという、まさに夢のような大会だ。
みんな真っ白な路面に大会ロゴが描かれた路面で次々乗り始め、まっさらだった路面にタイヤの跡が描かれていく。転んだり、タイヤがドン!と地面につく度に、「ゴォン、ゴォン、ゴォン、ゴォン・・・」とその音が反響しつづけて、世界の底にいる、というな孤独感に襲われる。

みんなの練習を眺めていると、マーティ(クォッパ)が凄いのは言うまでも無いが、進化の方向性的には昔からさほど変わらない。しかしビッキーの進化のスピード、方向性の変わり方には驚いた。系統としては、ヤンマーのように手持ちのトリックをありとあらゆる方法でコンビネーションにし、流れで見せる、という部分は変わらないのだが、片手、片足だけで体を支えて、車体と体が同時に逆方向に回転する、という瞬間瞬間の体勢がありえないポジショニングのコンビネーションを続けざまに入れ、何事もなかったかのように次のトリックに繋いでいく。想像でしか可能でないはずのコンボを、凄まじいまでのバランス感覚と想像力で可能にしている。

ネイサン(ペノンゼック)もしばらく見ていなかったが、ネイサンも流れるようなコンビネーションを更に進化させてきていた。2フットのペグウィリーからGターン、バックヤードからのGターンウィップtoアップサイドダウンペグウィリーなど、ネイサンの長い手足を最大限に利用したリアのスムースなトリック、ネイサン十八番のスティームローラーのスムースなコンビネーションと、綺麗なライディングにアグレッシブさが加わっていた。

マーティ・ローズは世界戦の時の絶不調はどこへやら、新しいコンビネーションも取り入れて絶好調。バックワーズヒッチハイカーGターンを中心にして組まれたコンビネーションは、キビキビと気持ちいい。

高志も黙々と乗りつづけ、みんなライディングに一生懸命な状況をヨソに、陽介はひたすらカメラマンに気に入られて、あっちで撮影、こっちで撮影とされていた。やっと乗り込み始めて、汗を拭こうとしたら、「いやーその汗がいい」とやはり撮られている始末。

それ以外でも陽介と2人で練習そっちのけで、「お、ここポートレートとか撮れそうじゃん」とか色々写真を撮るのに会場をグルグル回っていて、結局陽介は最後に少し乗っただけだったが、そこで集中力が切れたか、ウィップを普段の逆回しでやろうとしてミスって肋骨からモロに鬼落ち。その後ずっと痛そうにしていたが、日本に帰ってから病院に行ったら、やはり肋骨にヒビが入っていたらしい。

その後はみんなでボーリングをしに行ったのだが、それがもうメチャクチャ。ドイツではマリファナが解禁になったらしいのだが、みんなタバコと混ぜたものを吸いまくってブリブリモードで、ビッキー、マーティ(ローズ)、アレックス、ジミーらが1つのレーンでボールを一気に4つづつくらい投げ込んだりして、機械がおかしくなってしまった。挙句の果てには機械をぶっ壊して、アンディがボーリング場の管理人に超大目玉を食らって、帰りの時間がメチャクチャ遅くなってしまい、ホテルに着いたのは夜中の2時を回った頃だった。

ホテルに帰って、まだみんな元気いっぱい、ホテルのバーで飲もう、と盛り上がっていて、自分もちょっと休んで参加しようと思っていたが、ちょっと寝たつもりが、起きたら朝になっていた。朝の8時くらいに目が覚めて、とりあえず朝食でも、とレストランに下りて行くと、マイク(スタイングラバー)がちょうど散歩から帰ってきた所だった。マイクはいつも朝は早起きして、こうして散歩をするらしい。レストランを見回すと、ポール・オシッカが先に朝食を食べていたので、一緒に話しながら食べていると、フィル(ドラン)のとっつぁんがプラプラとやってきた。腰痛がひどくて、今日は靴下も履けねーよ、と裸足でペタペタとレストランまで来て、ウチらの座っているテーブルに座った。マイクとかはストレッチはしないらしく、ポールとフィルが「うそだろ?オメーもいい年じゃん」みたいな話になって、話が年寄りくさくなってきたので、陽介と高志の部屋に行って、マーティ・ローズやフランク・ルーカスと雑談しているウチに、昼近くになって、会場入りする時間が近づいてきた。

再びレッドブルの車に分乗して、会場に入ると、前日とはうってかわってカクテル光線も本格的に照らされ、レストランやライダーのウエィティングルームにも草花が置かれたり、ライトが灯っていたりして本番の雰囲気が伝わってきた。夕方6時半から会場のセッティングを行うらしく、それまで練習できる、というのでみんな必死に乗り込んでいる。

自分はといえば、睡眠不足を補うために、誰もいないウェイティングルームで1時間ばかり寝ていると、ライダーやジャッジが集まってきて、ジャッジミーティングが始まった。今回はトーナメント方式で、最初は1グループ3人×6グループ、次が勝ち抜けた2人ずつを混ぜて1グループ3人×4グループ、そこから勝ち抜けた2人は、今度はタイマンバトルで決勝まで勝ち残り戦という形式だ。紆余曲折の後、最終的に決まったジャッジ方法は、1グループ3人、または2人の中で、落ちるライダー1人だけを選ぶ、というものだった。

そして開場の時間になると、一気に冷気が下の入り口から駆け上がってきて、BGMの音量がグンとあがり、緊張感が俄然高まってきた。まずはジャッジが壇上にあがり、それからライダーが上がってくると、スポットライトが当たり、大歓声が巻き起こる!それがエコーとなって何重にも重なり合い、地響きが会場を揺らしている。一通りライダーの紹介が終わった後、いよいよ大会がスタートした。

まずは一回戦のAグループ。高志、アレックス・ジュメリン、フィル・ドランだったが、フィルが腰痛のため不戦勝で2人が次のラウンドへ上がるが、エキシビションでライディング。一方、別グループの陽介は手堅く、完成度の高いバリエーションでキッチリメイク。サイモンも18番のスティームローラーとボディバリアルを軸としたフロントトリックを決めて1抜け、といった感のライディング。ジミーを破って陽介とサイモンが2回戦へと勝ち上がる。

2回戦は、勝ち上がったライダーを更に抽選で混ぜて3人1組のグループを作る。高志ははサイモン・オブライエン、マイケル・スタイングラバー組に入ったが、なかなかトリックが決まらず、ここで敗退。

陽介はマーティ・クオッパ、フランク・ルーカス組に入って、完成度と攻めのギリギリの線を狙ってのライディング。だが慎重を期すぎたか、ノーハンドFトラックなどのキメ技が入りきらなかった。マーティはちょっとミスが立てこんだものの、十八番のキックフリップ、クロスフットワンハンドハング5toFトラックなどの超絶技巧トリックを決めて、その穴を埋める。フランク・ルーカスは攻めるのだが、最後の最後にツメが決まらない、といった感じだったが、地元とあって、観客の反応がかなりいい。ジャッジの判定は陽介がドロップ。2回戦で日本人ライダーは2人とも姿を消した。

その先3回戦でマーティ・ローズとマーティ・クオッパが当たったのだが、これがこの大会のハイライトだ。2人とも譲らずマーティ・ローズはヒッチハイカーGターンウイップとハーフパッカーのクイックなグライドを入れたライディング、必殺バックワーズタイムマシーン等のコンボをバシバシ決める。一方、マーティ・クオッパもクロスフット6パッカーtoハーフパッカーのコンビネーション、キックフリップをふんだんにいれて、負けじと応戦。だがこの時のマーティ・ローズの集中力、気迫はマーティ・クオッパをわずかに上回っていたように見えた。ジャッジの判定は真っ二つに分かれ、技術でみたらマーティ・クオッパがミスはあったものの、それでもマーティ・ローズをわずかに上回るか、という判断があったが、マーティ・ローズの魅せる&気迫のライディングが評価され、マーティ・クオッパが敗北。結果の発表後、まるで決勝の後のように、観客の2人をたたえる拍手の音が、いつまでも会場内にこだましていた。

そして決勝まで勝ち上がったのは気迫で攻めつづけるマーティ・ローズと、どのコンテストでもトップ3をはずすことはまず無いビッキー・ゴメス。マーティ・ローズは攻めに攻めたライディングで、技の決められるギリギリの速さを見極め、刃渡りのようなコンボを展開していく。ビッキーはスティームローラーからフレームを逆側にまたぎ越して、スカッフをガツッといれて無理矢理フレームを引き寄せるコンビネーション、ありえない体勢からハーフパッカーに持っていくなど、こちらも出し惜しみ無しのコンビネーションで応戦。マーティのライディングも魅力溢れるものだったが、ビッキーの創造性はそれを上回っていた。ビッキーの優勝。2位マーティ・ローズ、3位決定戦を制したのはマーティ・クオッパ、そしてサイモン・オブライエンと続いた。

大会後、会場のステージはバー&ダンスホールと化した。カクテル光線が白い会場の床を極彩色や水面の細波の色を映し出し、ビール片手にみんな踊り狂う。ライオネル(カルドソ)がバリバリDJをこなしたりして、夜は瞬く間に更けていった。

 で、ジャッジや睡眠不足で疲れていた自分は、会場下の練習スペースに降りて、シートに腰かけ、レッドブルをチビチビ飲みながら1人ボーットしていたが、しばらくすると、同じく上の喧騒からマニュ・サンツやポール・オシッカも逃げてきた。彼らと雑談をしたりして、時間を過ごした。

 夜も2時くらいになり、RedBullの人間が酔っ払いライダー共をかき集めて車に詰め込み始めたが、なかなか全員突っ込めない。やっと会場を出たのは1時間近く経った3時くらい。みんなベロベロに酔っ払っていて、車内で突然、マーティ(ローズ)がラップを歌い始めた。それにマーティ(クォッパ)や陽介、ライオネルが次々と歌を繋いでいって、その内みんな英語で歌っているのが面倒くさくなってきてそれぞれの自国語で歌い始め、ドイツ語、フィンランド語、フランス語、日本語が飛び交う。最高に楽しかった。

 ホテルに戻ってきたのは朝の4時頃。自分らの飛行機は11時の出発なので、空港に向かう時間を考えると、もうほとんど寝る時間もない。ちゃっちゃとシャワーを浴びて、2時間ほど寝た後、ロビーに下りてきて、賞金を貰ったりして、そこからレッドブルの人に、マニュ(サンツ)と高志、陽介と一緒に空港に送ってもらった。とにかくいつも忙しい日程だが、今回は本当に忙しかった。大会以外にもライディング写真を撮りに行ったりと、かなり精力的に動いたのはいいが、本当にエネルギーを使い果たした4日間だった。

何より、フラットがドイツではこれだけ認知され、こうした巨大なイベントが実際に実現できる資金力と企画力があるのには驚いた。ライダーの扱いもすこぶるよく、今までのX-Gamesや世界戦と違った、新しい方向性を見た気がした。ただ、ライダーが動かしている大会でない、という面で、ボーリング場へ行って、みんな好き放題やっていた時に、オーガナイザーとライダーの間に心の壁があるのは感じた。ライダーが開いたものだったら、自制したような気がするからだ。そこにちょっと影が見えたのが気になった。2年後にまたこの大会が行われるとしたら、その時に集まるライダー、ジャッジの反応によって、真価が問われることになるだろう。

Green-G