● 新城 “B-Bar” 安明インタビュー ~ embrace a Soul of Okinawa ~ (Cream, 2004年)
2004年、日本中を飛び回って色々なライダーやショップの人とつながりを作ろうとしていた時だったが、そんな時、ビーバーさんと知り合って、Cream用にインタビューをすることになった。当時大阪に住んでファンファンシーで働いていたビーバーさんだったが、今は沖縄でシーンを引っ張っている。Degree BMX創刊号にもインタビューが載っていたが、そちらも是非参考にしてみて欲しい。
沖縄出身で、最年長のB-Barは、大阪を拠点に長年に渡り、シーンの中心に担いつづけているライダーの1人だ。初めて会った時はそのコワモテにたじろいだが、話してみると気さくで、広い視野を持った人間ということが見えてきた。今回大阪でインタビューすることが出来た。
名前、生年月日、血液型は?
新城安明、1969/11/27 A型
つきなみに、BMXを知ったキッカケは?
中学校3年に上がってすぐの頃かな?同級生の友達がやっていて、その友達と遊ぶようになって、一緒に乗り出した。住んでいた近所に、昔米軍が使っていた土地が開放地になっていて、そこにちょっとしたモトクロスのコースがあったので、モトクロスの真似事しながら、走って飛んで遊んでいた。
初めて何か月くらいたったころかな、雑誌の広告にBMXアドベンチャーっていう映画が公開されるのを知って、友達と一緒に見にいったら、映画館の前でBMXのデモをやっていてその時にレース協会の入会用紙も配っていた。
その時に沖縄にBMX協会があるっていうことを知った。それから協会に入会してレースを本格的に初めた。高校の間はレースを中心にやっていた。その頃はレースの練習しながらダートジャンプしたり、ランプをやったり、フラットをやったりしていた。
その頃はフリースタイル、レースっていうカテゴリーしかなかったから、レースとフリースタイルの両方をやっていた。オレがやり始めた頃の沖縄はそういったスタイルでみんな育ってきたんじゃないかな。
でもまあ、その当時はカテゴリー分けなんて意識してなかったし、何でもありが当たり前だった。
この10年くらいの間でフラット、ストリート、ダート、バート、レースっていうジャンル分けされた乗り方になってきたけどね。
最初に上京したのはいつですか?
神奈川に親戚が住んでいて、それを頼ってやってきた。そのツテで工場の作業員として1年くらい働いていた。それが21歳の2月ごろだったと思う。
理由は?
BMX絡みで内地に出てきたことなかったし、チャリンコ半分、働く半分で、とにかく1年頑張ってみようと。その時は駒沢が凄い、って聞いていたから、仕事が休みの時に会社の車を借りて初めて行ってみたら、ジャンプランプが1個あるだけで、その時はフラット練習している子しかいなかった。本多(啓介、男気ライダー)君とかが良くいた。その時はまだチャリを持ってきていなかったけど、本多君らと話をして親しくなった。
その頃ぐらいから、駒沢の盛り上がり始めで、ライダーがどんどん増えてきていた。当時、東京で乗るところといったら駒沢しか知らなかったから、毎週通うようになった。それと住んでいたところがネモー(根本君)の家の近くだったから、夜とか仕事が終ってから車で、横浜アリーナ裏に練習しに行ったりしてた。夜はそこで、フラットや軽いストリートで遊んでいたね。そんな感じで1年がすぎていった。
その年の11月に、JFAの大会が大阪であって、東京のみんなが行くっていうので俺もついて行った。それで大阪に着いて、地元のライダーに泊めてもらった。大会の時にビッケ(池田)とかE(尾西)達と知り合った。その時は大会だけですぐ東京帰って、その翌年の2月に沖縄に戻った。
沖縄に帰ってから、半年ぐらいして今度は九州に行った。それから上の方へ向かって、点々と放浪を続けているうちに、大阪に定住した。2年ぐらい日雇いのバイトをしてて、それから大阪のライダーにハーベストマーケットウィールっていうお店を教えてもらって、そこでMO3と出会った。その関連会社が雑貨屋をしてたから、そこでバイトさせてもらってる内に社員になって、7年くらい働いていた。でも大会がある度に休ましてもらって、ケガとかして仕事を休すんだりとか、ってやっていたら、仕事が忙しくなるにつれてチャリに乗りたいって気持ちが膨らんできて。これは辞めるしか無いなって思って、社長にお願いして辞めさせてもらった。ちょうどその時に陽介からAresに誘われていたんで、そっちでフレーム作るのとかかかわるようになった。陽介が大阪にいる時から一緒に乗ったり、遊んだりしていたから誘いの話を持って来てくれた。
それで今に至る。かな!
いきなりヘビーな質問ですが、沖縄、というとどうしても第2次世界大戦で戦場になった、というイメージがありますが、ビーバーさんの世代は、戦争に対するイメージはどうなんですか?
実際住んでいた近くでも空き地とかで土を掘り返したら薬きょうとか出てくる場所だった。親の話や、学校で教えてもらうレベルでは、昔悲惨なことがあって、ここで戦争があったんだな、って感じはあったけれども、実体験したわけではないから、外人がいるとか軍があるのは物心がついた時には当たり前だった。それに戦車とか戦闘機が目の前で見れてかっこ良かったから興味も持っていたし、自分にとってはいい影響や刺激を与えてくれるもの、っていう意識があった。
米兵隊が犯罪を犯したりとか色々問題もたくさんあるけれど、それって外人に限らず日本人の中にも悪さする奴はいるし。だから外人だからとか、兵隊だからっていうより、共存しなきゃ、って思ってる。
基地の存在に対して賛成の人も、反対の人もいるけれど、でも良くなる様に行くにはお互いが共存していかないとね。基地のおかげで生計を立てている人もいるけど、基地が在るおかげで飛行機とかの騒音で困っている人もいるのが現状なんだけどね。
ベースやアメリカの存在を、巨大な組織とか、権力って捉えたことはないと。
自分もオトナになったと思うから、今でこそニュースとかの物事に対して興味を持つようになっているつもりだけれど、誰が悪い、っていうよりも、どうお互いがハッピーに共存していけるか、ってことを考えた方がいいと思う。アメリカだけが悪いわけじゃないと思うしね。戦争って行為がダメだと思う。
揉めたりして、どっちかが良くなってどっちかがダメになるより、両方ともよくなるほうがいい。その解決策を見つけるのに力を使った方がいいと思う。例えば、今の国会の答弁を見ても、お互いの痛いところをついているだけで、話が全く前に進んでいない、発言をするのにも前もって準備されている文章をただ読んでいるだけにしか見えない、もっと自分の意志で思いを言ったらって思ったりもするよね。
でも、こんな偉そうな事言える身分じゃないんだけどね
やっぱり俺としては基地があってラッキーだったと思う。それによってBMXというものを知ることが出来たわけだし、内地よりも情報が早くはいってきた時も有った。(BMX PURS, BMX ACTON, FREESTYLIN’とかが基地の中で手に入る) 英語は分からなかったけれど、写真をみて「スゴイー」とか、気になる単語とか書いて有ったら、何を書いているか気になって訳してみたりとかしてた。それで英語にも興味を持つようになってた。高校の時とかは実習とか以外はあまり興味が無かったけど、PlusとかActionを見るようになって、その書かれてる内容を読みたいために、辞書を開きながら単語を訳して、自分なりの解釈で読んでみたりして。そのおかげで多少なりとも英語に対する違和感がなくなっていった。
レースとか行ったら外人とかいるし、何を言っているか理解しようとがんばってた。でも喋れなかった。
自分も2年ほど前に沖縄に行って、そこで「内地」って言葉をよく耳にしましたが、その言葉のニュアンスってどういったものなんでしょう。
俺の親の世代から「内地」イコール「本土、本州」を示していて、オレみたいな田舎の人にとっては普通の言葉だと思ってた。自分は上の世代が使うから、自分らも「あそこは内地なんだ」ってくらいのイメージで使ってたね。北海道とか他の田舎の人も使うみたいだしね。沖縄だけではないようだけど。だから他意は無いね。もしかしたら悪い意味もあるのかもしれないけれど。
俺は逆に本州とか、東京とか言うより、言いやすい言葉だと思う。内地っていうほうが無色でね。沖縄でも内地の人はナイチャーっていうし。一回内地に行って、帰ってきた人はシマナイチャーっていうんだけれどね。それはあまり良い表現ではない事も有るんだけどね。(笑)
内地にいても、心は沖縄にある、って言っていましたが、自分とかはあまりそういう意識はないんですよね。心は東京、みたいな。ビーバーさんが考える沖縄の心ってなんでしょう?
沖縄は本州につながってないし、南の島だし、一回離れるとなかなか戻れない場所だし。お金がたくさんあれば別だけれど、船だと安いけど時間かかるし、飛行機だとお金がかかる。でも、今ではそんなにお金かからないけどね。大阪に来てしばらくはお金がなくて、4年くらい帰れなかった。会社に入ってからは少しずつ余裕になって帰れるようになったけれど、その頃に帰って感じたのが、「ああ、俺ってやっぱり沖縄人なんだなぁ」と、離れてから思うようになってた。
今でも大阪に10何年住んでいても慣れない時も有るし、俺違うところに居るんだ、って感じる時も有る。沖縄に帰ると「この暑さ、いいな」って思う。飛行機から降りて空港から出て吸う空気っていうか、肌に感じる温度っていうか、久々に地元の空気に触れると癒されるね。
行き来する中で自分の沖縄人としてのアイデンティティを感じると。
最初はあまり意識はしてなかったけど、やっぱり、だんだんと感じてくるようになって来たね。
東京や大阪とかのライダーのみんなに沖縄のライダーは凄いとか言われるようになったりしてからとか。
確かに沖縄のライダーは何でも出来たし、出来て当たり前ってのがあった。
色んなものを取り入れて、自分のものにしてミックスする、それがちゃんぷる〜で、沖縄スタイルみたいなところがね。
ハングリーで想像力が豊かで何処でも遊べる姿勢があった。それが沖縄で養われて今の自分に出てると思う。
自分は沖縄に生まれて良かったって思うね。間違いなく!
そうじゃなかったら今の自分は無かったと思う。沖縄サイコー!
将来的にBMXに乗れなくなったら、どうしますか
考えなくはないけれど、考え出すと、今、一生懸命乗れなくなるね。乗る合間にBMX以外で興味を持っているのは、450でデザインしたり、Tシャツ作ったりしているけれど、でも今は乗るのに夢中で、あまりデザインとかは最近してない。MO3,JINJIN,T-GONに任せっきり。 今は乗れる状態でいるから、乗っていることで宣伝にもなると思うから、今、自分は広告塔みたいな感じで乗っているつもり。それで自分自身も宣伝して、各方面につなげて行けたら良いな。乗ることを通して友達を作って、色々な所とつながりを作って行けると思うから。一生懸命乗っていれば他にもつなげると思う。中途半端に乗っていたら、それを突っ込まれたら「すんません」って返すしか言葉ないしね。でも本気で乗っていたら、ちゃんと見てくれている人は分かってくれると思うから、いかにオレが本気で乗っているかを理解してくれるはず。まぁ、文句は言われるかもしれないけれど、やっぱりいつまでも乗っていたい(笑)。
楽しくてどうしようもないくらいにね。
450はどうやって出来たんですか?
最初は違うブランドをライダー友達と立ち上げてやっていた。その時は服の作り方とか分からなかったから、プリントゴッコみたいので手作りで作ったりしていた。でも上手いこと続かなくて、結局俺1人になってしまって、「これじゃやっていけないな、」ってMO3にDUB(Dub Factory)のノウハウで出来ないかな、って相談して、それからJINJIN(寝屋川、20INCHES BIKE SHOPの店長)も誘って、いっしょに3人で始めた。それとこれは嘘のようでほんとの話、430に対抗してそれより上を行こうって事で450にして、汚れで英語だとDIRTYでBMXはDIRTとが初めだし、カッコイイじゃないかってね!汚れてなんぼみたいな味の有る事をやろうみたいな。
大阪だから出来た名前の気もするこんな有りそうで無いネーミングは。
で、今450を仕切ってるのはMO3で、JINJINやT-GONとかはデザインしたり、450のホームページを作ったりしてる。
僕とか450は洋服の会社って思っていましたが
ウェアブランド、っていうカテゴリーには当てはまらないかもね。あえていうなら、色々なキャラクターが集まって作りたいものを作る、450ブランドっていう集団だね。チームライダーは、東京はキノッピー、名古屋にはグアバ、広島はターボーがいる。沖縄はゼンコー、アニケン、一政がいて、後はフラットのライダーもいて京都のナッツと大阪のトニ−がいる。このメンバーで気のあった仲間とやっているから楽しいよ。キャラクター重視で選んで仲間にしてるから。
これからはパーツとかも考えて作って行くつもり。
ライディングに関して、ビーバーさんが考えるスタイルはなんですか?ライン取りで生まれる流れ、とかありますよね。
パークとかの様なで、場所がライン取りで流れを作れる場所なら、流れのある動きを見せる、っていうのもやれたらいいな、って思うけど、俺としてはスタイルはあってないようなつもりでいる。新しいとか、古いとか、誰がやっているかどうかは関係なく、自分が気に入ってるものを練習してやる。新しいモノを開発するのも良いけど、誰かがやっているカッコイイものをまねしたり、それを自分流にアレンジするとか。即興でやるのが楽しかったりするし、そこから何か面白いトリックができたりするかもしれない。
その時との時にやってみたらできたとかおもしろいし。
即興でやるのが楽しかったりするし、そこから何か面白いトリックができたりするかもしれない。
ティルウィップでもルックダウンでも、みんなやっているトリックだけれど、俺を含めて、みんなインパクトがあるか、トリックのカタチがカッコいいか、カッコ悪いかを見るし、自分のものにできていたら、それを評価してくれてると思う。スタイルは見る人が評価するものじゃないかな。
ただ確かに自分のオーラが大きいか小さいかでその人の評価も変わってくる。俺とか若い子と比べればオッサンかもしれないけれど、乗り始めれば俺っていうのが出てきて、みんながそれを感じてくれればいいって思う。まぁ、着ている服のスタイルとかもスタイルの内だろうし、でもそういうものも時と共に変わっていくものだと思う。
確かにスタイルっていうものは常に変わっていくものだし、誰かを評価するためのモノサシ、ということかもしれませんね。最後に、昔から変わらず追い求めているモノ、ってありますか?
年と共に丸くなっていってしまうのは仕方ないかもしれないけれど、いくつになってもトガッている部分は持っていたいって思う、常に乗っていたい。自分の人生でBMXほど面白いものは他に無し。気が付けば20年も乗っているし、いつも気になってしょうがない。だからこうやって今自転車業界に携われる自分は幸せ。お金の幸せは少ないけれど(笑)
BMXを乗ってるおかげで、色んな所にも行けるし、その土地のライダーとも仲良くなれたりできる。
そうやって作ってきた全国の友達は自分のパワーの源だね。沖縄を出たから今の自分のスタイルがあると思う。出て来たことで友達との出会いも含めて、いろんなことを吸収できたから。
そんな風に、色々な意味でBMXを使っているし、いい思いをさせてもらってBMXには感謝している。本当にライフスタイルの一部だし、チャリに触るか触らないかで1日のコンディションも変わってきたりするからね。
KEEP ON RIDING これでしょ、やっぱり!